50次越冬隊は、49次越冬隊および50次夏隊を乗せたオーロラ・オーストラリスが針路を北に取り、日本に向けて出発したことを受け、越冬成立式を行いました。
これから51次隊が到着するまでの1年間、50次越冬隊員だけで南極観測任務と昭和基地の運営・維持を行うことの決意のための儀式です。
門倉越冬隊長が、越冬隊員一人一人の名前を呼び、隊員がそれに応え、全員の意思を確認して越冬成立が宣言されました。
越冬成立式の後、隊員全員で基地内にある福島ケルンの前に移動し、福島紳隊員の慰霊祭を行いました。
福島紳隊員は第4次越冬隊の宇宙線・オーロラの研究者です。
1960年10月10日、激しい吹雪の中、犬の餌やりと、遠征用のカブース(そり付の移動小屋)の点検に出かけ、基地からわずか数十mの所で行方不明になりました。
折悪しく、その時、昭和基地に滞在していたベルギー南極観測隊の隊員にも行方不明者が出ており、その捜索のため昭和基地が手薄になっていた時でした。
結果、ベルギー隊の隊員は救助に成功しましたが、福島隊員は発見できず、懸命の捜索もむなしく、10月17日に死亡と認定されました。
8年後、第9次観測隊によって、遺体が昭和基地のある東オングル島の隣の西オングル島で発見され、その地で荼毘に付され、遺骨の一部がこの福島ケルンに納められています。
50年以上続く日本の南極観測史上、唯一の南極観測隊員の犠牲者です。
(南極観測隊員以外では、もう一名、海上自衛隊の方で犠牲になられた方がいます)
50次隊員は、福島隊員の犠牲を尊い教訓として整備されてきた基地の安全対策の順守を心に誓うとともに、一年間の無事を祈願し、福島隊員の霊に祈りを捧げました。
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