昭和基地で30人ぼっちの生活は始まって、はや9か月たちました。その間毎日同じ顔を見ながらの生活でしたが、先日その生活もとうとう終わりを告げました。
例年だと、12月の中旬から下旬に次の隊が昭和基地へやって来るのですが、11月14日に55次隊の先遣隊がやってきたのです。
ご存知かもしれませんが、53次、54次と2年続けて南極観測船「しらせ」が昭和基地に接岸できなかったので、物資も燃料も十分に運ぶことができませんでした。
その影響もあり、55次越冬隊は24名で越冬することになりました。
人数が減ったので、先に隊員2名を「しらせ」ではなく航空機で南極入りさせ、業務の引き継ぎ等を行うことになりました。
もちろん、昭和基地周辺には通常想像するような飛行場はないので、自分達で造ることになります。南極大陸と昭和基地の間にあるオングル海峡は凍っていて、その上に雪が積もっているので、そこを雪上車で馴らして滑走路を造り、目印の旗を等間隔で設置すると昭和基地飛行場の出来上がりです。
当初の予定では、先遣隊は11月10日に来るはずでしたが、天気の影響で延び延びになっていました。そして、15日に到着と聞いていたのですが、14日のお昼頃急に連絡があり、その日の内に昭和基地に来ることになったのです。
越冬中に行う南極教室等で画面越しに隊員以外の人間に会っているのですが、生身の人に会うのは随分久しぶりです。少しドキドキしながら雪上車に乗り込み飛行場へと向かいました。
飛行場に到着した途端、先遣隊の到着が1時間遅れるとの連絡があり、肩すかしをくらった感じがありましたが、当日は天気も悪くなかったのでのんびりと待つことにしました。
そして、到着予定時間になりましたが、中々飛行機は見えません。今か今かと待っていると、急に機影が見えました。そうすると着陸まではあっという間の出来事で、無事に先遣隊の2名が到着しました。
55次隊が12月の中旬から下旬にやってきて、いきなり30名だけの生活から100名近くの生活になるより、このように少し外界の人間に対する免疫をつけてからの方がよいのかもしれないなと思いながら昭和基地へ戻りました。
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