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所長コラム

昭和基地開設60周年記念式典式辞 (2017.1.29)

白石和行

水落敏栄文部科学副大臣はじめ、ご列席の皆さま、そして南極昭和基地に今現在、滞在し、観測や設営作業に携わっている隊員、「しらせ」の乗員、同行者の方々。

本日、皆さまと共に昭和基地の開設60周年の日を迎えることができたことを心からよろこび、感激にたえません。
昭和基地を付属施設として、その運営を託されている、国立極地研究所を代表してご挨拶申し上げます。

我が国の南極地域観測事業は、日本学術会議が、1957-8年、昭和32-3年に国際学術連合会議ICSUによって計画された国際地球観測年において、南極地域での観測に参加することを決定し、1955年、昭和30年11月4日の閣議決定によって開始されました。南極地域観測統合推進本部が当時の文部省に置かれ、文部大臣が自ら本部長となり、関係各省庁が連携して、研究観測や輸送などを分担し、国家事業としての南極地域観測隊を組織しました。

当時、わが国は戦後10年を過ぎ、昭和31年の経済白書では「もはや戦後ではない」とうたわれたとはいえ、「三種の神器」と言われた冷蔵庫、洗濯機、テレビが、まだ庶民の憧れであった時代でした。しかし、国民、財界、産業界の熱い支持を得て、政府も予算をねん出し、ようやく、第1次南極観測隊を送り出すことができました。この時に、国民、特に小中学生から寄せられた寄付や声援が、どんなにか、観測事業の関係者を力づけたことでありましょうか。

当時、南極の気象や地理的な環境条件の資料はほとんどありませんでした。基地の建物や、内部の設備、また輸送のための砕氷船や雪上車等、あらゆる準備が、学界はもとより、様々な企業や団体による惜しみない協力で短時間のうちに整えられました。

1956年、昭和31年11月8日に、海上保安庁の南極観測船「宗谷」は、永田武隊長以下、観測隊員53名、松本満次船長以下、乗組員77名からなる第1次観測隊を乗せて晴海を出港したのでした。また、これに先立って、東京水産大学の練習船海鷹丸も随伴船として、熊凝武晴船長以下、乗組員52名、学生27名を乗せて、10月25日に東京港を出港しました。

1957年1月29日、第1次観測隊は、西オングル島の一角に日章旗をたて、「昭和基地」と命名しました。午後8時57分であったそうです。まさに、この瞬間から昭和基地60年の歴史が始まりました。
南極地域には、国際地球観測年に先立って、すでに10の越冬基地がありましたが、この1957年に昭和基地や米国の南極点基地を含む5つの基地が新たに開設されました。日本はアジアの国として初めて、南極に基地を持ったのです。

その後、海上保安庁の「宗谷」から、海上自衛隊が運航する「ふじ」に移行する際に3年間の休止はありましたが、「しらせ」、新「しらせ」と4代にわたる南極観測船の就航により、今日にいたるまで、連綿と観測事業が続けられてきました。

この60年の間に、さまざまな技術が著しく進歩し、特に、衛星からの観測や自動観測地点の増加など、リモートセンシング技術の発達には目覚ましいものがあります。しかし、こうした進歩は、昭和基地のような越冬観測の基地の価値がなくなったということを意味するものではありません。

これまでも、南極における重要な科学上の発見は越冬中の観測の成果であるものが多くあります。オゾンホールの発見、オーロラの発生機構の解明、氷床掘削による地球環境史の解明、南極隕石の大量発見、通年の観測による南極海の海洋生態系の解明等々です。数年前に完成し、現在、通年観測を続けている大型大気レーダーPANSYによる高層大気の観測はまだこの先何年も続ける必要があります。また、オーロラや天文の観測は越冬中の暗夜の時期に実施する必要があります。

何よりも、越冬中の観測機器を整備し運用するためには、まだまだ越冬隊員の力が必要です。そしてまた、基地は観測だけでなく、夏の間の内陸旅行や航空機観測などの、野外オペレーションの準備のための支援基地でもあります。
このように、昭和基地はわが国の南極観測事業の要として、今後も維持されねばなりません。

一方で、60年という節目は、人間でいえば還暦であります。この時点で、我が国の南極観測事業の在り方を振り返り、次の還暦を目指すことも必要ではないでしょうか。

近年の地球環境の変化は、地球人として看過しがたいものがあります。北極域の海氷域面積の年最小値の経年変化を見ると、過去約40年間にほぼ半減しています。このような急激な変化が何に起因し、今後どのようになっていくのかということは、人類のみならず、地球そのものにとって重要問題です。南極ではどうでしょうか。

南極大陸には地球上の淡水の氷の70%以上があり,これが融けると地球環境を大きく変えてしまいます。南極大陸の西半球側を西南極といいますが、この地域では氷の減少が著しく加速していることが衛星や現場観測からわかってきました。

現在、昭和基地のある東南極では大きな変化は顕在化していないように見えますが、傍観しているわけにはまいりません。
東南極には西南極の10倍以上の氷が存在しています。この膨大な氷の存在が、人類の住む地球の将来を左右しているといっても、いいすぎではありません。

過去の南極地域の歴史や、南極から観測できる現在の地球の姿を明らかにし、将来の地球のありようを予測することが重要であり、そのためには、北極の観測も併せて両極域の観測が必要なことが理解されると思います。
こうした観測は、我が国の研究者の努力だけでなしえるものではなく、まして、昭和基地でできる観測は限られています。

1957-58年の国際地球観測年によりはじめられた南極観測は、1961年からは南極条約という新たな国際的な枠組みの中で各国が協力して進めることになりました。日本は、南極条約の原署名国12か国の一員で、南極条約体制に重要な役割を果たしています。現在、締約国は、53か国に増え、南極研究科学委員会、SCARへの加盟国も43か国を数えています。南極地域に対する世界の関心はますますたかっていることがわかります。こうしたなかで、日本は、南極条約の精神のもとに、国際連携により南極に於ける科学研究活動を推進し、世界をリードしていかねばなりません。

昭和基地は、今後も続けて我が国の南極地域観測事業の拠点としての機能を発揮していくとともに、南極観測で得られたデータを基に、日本の研究者が科学的成果を世界に発信していくことをお約束して、昭和基地の開設60周年記念式典のご挨拶といたします。

ありがとうございました。

ホームページの刷新にあたって (2014.4.1)

白石和行

懸案であった国立極地研究所のホームページが刷新されました。

昨今、ホームページはその組織の看板となっており、もっとも身近な社会への情報発信の手段となった感があります。またホームページの善し悪しで組織への好悪の印象が決められてしまうことさえあるでしょう。さて、新しい、極地研のホームページに対してはいかなる評価がくだされるでしょうか。

トップページでおわかりのように、極地研ホームページでは、以下の情報を発信していきます。
1)大学等共同利用機関としての国立極地研究所のミッション、機能、組織の紹介
2)国立極地研究所の研究教育職員による観測や研究成果の紹介、
3)南極や北極などでの観測活動や研究成果の紹介、取得したデータの公開、
4)総研大極域科学専攻の情報とそこでの教育活動、
5)国内外の共同研究に関する情報、共同研究の公募、
6)教職員や観測隊員の公募情報、
7)アウトリーチ活動の数々、そして、
8)外部団体への窓口サイト
が紹介されることになります。

また、極地研にはさまざまな分野やグループがあります。現時点では必ずしもそのすべてがページをたちあげてリンクしているわけではありませんが、早急にそれらを充実させて、更に利便性の良いホームページとしていきたいと思います。
国立極地研究所は日本の極域研究の中核機関としての役割を果たすために、このホームページを活用します。利用者の皆さんからの要望や意見をお待ちします。

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