10月10日は、故福島隊員の慰霊日として南極観測隊にとって特別の日です。今年は、悪天のため1日遅れましたが、11日に慰霊祭がしめやかに執り行われました。
福島紳隊員は3次夏隊参加の後、第4次越冬隊員として観測に従事しておりました。
1960年(昭和35年)10月10日13:30頃、仔犬に餌を与えにブリザードの中を外出し、その後海氷上のカブースの入り口を点検しようとして同行隊員と離れ離れになりました。同行隊員が戻った15:00頃、行方不明が確認されました。10月7日から11日までA級ブリザードが吹き荒れ、行方不明後の10日17時には最大風速32.5m/s、瞬間最大風速40m/sに達し、視程は1m以内という激しい情況になりました。捜索は、隊員総出で固定ザイルを用い、サイレンの断続吹鳴、電球をあちこちに点灯するなど行いました。翌11日からは雪上車を用いた捜索も並行して行われ、13日には基地を訪問していたベルギー隊の飛行機による広範囲にわたる捜索も行われましたが、手がかりは全く発見できず、17日午後2時をもって死亡と認定するやむなきに至りました(南極六年史参照)。
最後に目撃された基地主要部から100m程離れた場所には、現在ケルン(石を円錐形に積み上げたもの)が建てられ、南極条約における史跡として認定されています。
遺体は7年後の1968年2月9日に基地から約4km離れた隣島の西オングル島で地質調査に訪れた隊員によって発見されました。
慰霊祭を終え、我々も自然の恐ろしさを再認識し、残りの越冬期間も無事故で過ごそうと決意を新たにしました。
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