大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所

国立極地研究所ホーム>研究成果・トピックス

トピックス

南極観測船「しらせ」によるオーストラリア観測隊員等の輸送支援について
-南極条約の精神と国際貢献-

2016年3月14日掲載

​​​​​​​国立極地研究所所長
​​​​​​​白石和行


日豪の観測隊と「しらせ」自衛官で、飛行甲板にて記念撮影

第57次観測隊夏隊(門倉昭隊長ほか33名)および第56次観測隊越冬隊(三浦英樹隊長ほか25名)を乗せ、昭和基地方面での活動を終了し、海洋観測を行いつつシドニーへの途にあった南極観測船「しらせ」(大鋸寿宣艦長ほか乗員177名)は、オーストラリア政府の要請を受け、モーソン基地沖で座礁したオーロラ・オーストラリス号(以下、オ号と記す)に乗船していた同国観測隊員66名の本国への帰還を支援した。

オ号は、2015/16シーズンの第3次航海おいて、①海洋観測、②モーソン基地での補給・隊員収容、③デービス基地での隊員収容を目的として、1月11日にホバートを出港し、1月21日~2月15日にケルゲレン海台周辺での海洋生態系等の集中観測を終え、2月20日にモーソン基地に到着した。21日からは、モーソン基地への貨油輸送、越冬物資の送込み、および持ち帰り物資の搭載作業を行った。その後の経過を、オーストラリア南極局(AAD)の発表等に基づいてまとめると下表のようになる。

期日 記事
2月24日 ・オ号、ブリザードによる強風のため係留索が破断し、強風に流されて座礁。観測隊員68名および同号の乗員は無事。
2月25日 ・ブリザード継続。オ号船内において損傷確認等を実施。
2月26日 ・ブリザード継続。オ号のバラストタンク部に亀裂を確認するも船内への浸水や漏油がないことを確認。
・オ号に乗船して帰国予定であったデービス基地のオーストラリア観測隊員35名をケーシー基地に送るため、米国LC-130機が到着。
2月27日 ・モーソン基地の天候回復。オ号のはしけ船で67名の観測隊員がモーソン基地に移動。オ号の離礁作業成功。
・米国LC-130機は、ケーシー基地が天候不良のため、デービス基地で待っていた35名のオーストラリア観測隊員の行き先をマクマード基地に変更して輸送。
2月28日 ・オ号船体精査実施。
3月1日 ・オ号船体精査実施。
3月2日 ・船体精査の結果、オ号が帰路の航海に耐えうることは確認したが、オ号を所有運航するP&O社は、オーストラリア海事局を含む専門家の判断により、運航に必要な乗員のみを乗せて帰国させる判断を下し、オ号はモーソン基地沖を出発。
・オーストラリア隊のエアバスA319機により、デービス基地からマクマード基地に移動したオーストラリア観測隊員35名が空路、ホバートに帰還。
3月4日 ・オーストラリア政府の要請に応じ、我が国の南極地域観測統合推進本部(本部長:文部科学大臣)はモーソン基地の観測隊員およびヘリコプターを南極観測船「しらせ」によりモーソン基地沖からケーシー基地沖まで移送するため、第57次南極地域観測隊及び「しらせ」の行動計画の一部変更を決定
3月7日 ・「しらせ」がモーソン基地沖に到着。オーストラリア観測隊員66名と物資およびヘリコプター3機を収容後、ケーシー基地沖に向けて航行開始。
3月8日 ・中国砕氷船「雪龍」が、デービス基地の観測隊員2名と物資を収容(3月24日フリーマントル入港予定)。
3月12日 ・オ号がフリーマントル帰港
・「しらせ」がケーシー基地沖着。オーストラリア観測隊員66名と物資およびヘリコプター3機をケーシー基地に移送完了。
3月13日 ・オーストラリア空軍C17機が、ケーシー基地のオーストラリア隊員28名及びヘリコプター3機をホバートに輸送。残る38名は近日中にオーストラリア隊のエアバスA319機によりホバートに帰還予定。

AADはケーシー、デービス、モーソンの3つの越冬基地を運営しており、オ号は各基地への物資補給や人員交代および海洋観測等を組み合わせた航海を10月~3月に毎年4回程度実施している。夏シーズン終盤にあたる2月下旬~3月上旬には、どの国の砕氷船も越冬隊員や夏隊員を収容し南極を離れ、また南極大陸内で活動していた航空機の運用も終了する。この時期にオ号の運航に支障が生じたため、乗船を予定していた100名規模の隊員をいかにして帰国させるか、AADは厳しい状況に置かれた。

南極においては、各国の南極観測実施機関は、限られた輸送能力を有効に活用するため、人員・物資の輸送において互いの船舶・航空機を融通し合う事が日常的に行われている。今回、AADは、オ号の座礁後直ちに、南極観測実施責任者会合(COMNAP:議長、白石和行)のメンバーである各国責任者に対して支援の可能性を打診した。複数の国から、自国の計画を優先する条件は付帯しながら提供可能な輸送手段の申し出があった模様で、最終的には上記の表の通り、日本のみならず、米国、中国が支援を行った。

日本とオーストラリアの協力は過去も度々行われている。
1985年12月 氷海に閉じ込められたネラ・ダン号を「しらせ」が救出
1998年12月 氷海に閉じ込められたオ号を「しらせ」が救出
2008年12月~2009年2月 オ号による第50次南極地域観測隊および、第49次越冬隊の人員物   資のオーストラリア~昭和基地間の輸送。
その他にも、2014年2月 「しらせ」のマラジョージナヤ基地沖での座礁事故に際し、乗船する観測隊員等の救援にオ号を派遣することを真っ先に申し出てくれた事実がある(2日後に「しらせ」が離礁に成功したため実施には至らなかった。)。

永田武国立極地研究所初代所長(当時東大教授)は、1955年9月のIGY特別委員会・南極委員会において、白瀬矗による南極探検など過去の実績を説明し、南極観測参加の意志を表明した。これを機に、我が国は、国際地球観測年(IGY;1957-58年)への参加を果たし、その後、南極条約原署名国12か国の一国として南極観測を続けてきた。1911年、白瀬隊は、目的を果たせず最初の南極海航海から戻り、捲土重来を期してシドニーで準備を進めていた。その時に、シャクルトン隊に参加して南極の厳しさを知るシドニー大学のEdgeworth David教授は、白瀬に支援の手をさしのべて、翌年の白瀬の壮挙に大きな役割を果たした。日本とオーストラリアは南極観測を通じて古くからの友人なのである。

南極地域は、南極条約のもと各国が互いに国際協力によって安全な活動ができる、地球上で得がたい地域である。南極研究をリードする国は、南極で困難な状況にある外国観測隊への援助も率先して行ってこそ国際的な立場が認められよう。第57次夏隊、第56次越冬隊、「しらせ」乗員が一丸となり、モーソン基地およびケーシー基地のオーストラリア隊と協力して、座礁したオ号で帰国する予定であった66名を無事ケーシー基地に送り届けた1週間あまりの支援活動は、国境の無い大陸「南極」に息づく助け合いの精神が表れたものである。


日豪観測隊員の懇親会

日豪観測隊員の懇親会②

エマージェンシースーツを勢いよく着る、オーストラリア隊副隊長

すっかり仲良くなりました

別れを惜しんで

輸送担当隊員としっかり握手

ASのしらせ離艦と、手を振るみんな
ページの先頭へ