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研究成果

江戸時代のオーロラ絵図と日記から明らかになった史上最大の磁気嵐

2017年9月20日
大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 国立極地研究所
大学共同利用機関法人人間文化研究機構 国文学研究資料館
国立大学法人総合研究大学院大学

国立極地研究所(所長:白石和行)/総合研究大学院大学(学長:長谷川眞理子)の片岡龍峰准教授、国文学研究資料館(館長:ロバート キャンベル)の岩橋清美特任准教授は、江戸時代の古典籍に残る記録から、明和7年7月28日(1770年9月17日)に史上最大の磁気嵐が発生していたことを明らかにしました。

写真1:『星解』に描かれた1770年9月のオーロラ。松阪市郷土資料室所蔵。三重県松阪市提供。

研究グループは今回、京都・東羽倉家の日記に1770年のオーロラの記録を発見し、その日記の記述をもとに京都からオーロラがどう見えるかを計算しました。その結果、『星解』という別の古典籍に描かれたオーロラの絵図(写真1注1)の形状が再現されました。またこれにより、1770年の磁気嵐は、これまで観測史上最大と言われていた1859年の巨大磁気嵐と同等か、それ以上の規模であったと推定されます。

この成果は、アメリカ地球物理学連合の学術誌『Space Weather』に掲載されます。なお、本研究の一部は、総合研究大学院大学の学融合共同研究事業および国文学研究資料館の「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」として実施されました。

研究の背景

太陽で爆発が起こり、大量のプラズマが太陽磁場とともに放出され、地球に到達すると、地球の磁場が一時的に弱くなる「磁気嵐」が起こります。大きな磁気嵐のときには、極域のオーロラが活発になるだけでなく、低緯度の地域でもオーロラが見られることがあります。
これまで記録された中で最大の磁気嵐は1859年9月に発生したもので、太陽フレアを目撃、報告した天文学者の名前から「キャリントン・イベント」と呼ばれています。この時には、青森県弘前市や和歌山県新宮市でもオーロラが見られたという記録が文献に残っています(文献1)。

「キャリントン・イベント」より前にも、日本でオーロラが観測された記録があります。藤原定家の日記『明月記』には、1204年の京都で1週間のうちに幾晩もオーロラが見えたとの記述があります(文献2)。

日本で最も多くの地域でオーロラが目撃されたのは1770年9月(明和7年7月)のことです(文献3)。古典籍『星解』に、山から放射状に吹き出すような形のオーロラの絵が描かれていることは、よく知られています。1770年9月17日の深夜に見られたもので、説明文に「北にある若狭の国で火事が起こったのではないか」と記載されていることから、京都から見えたオーロラを描いた絵図だと考えられます。絵図の中には、赤い筋の中に、さらに赤い筋があるという細かい構造も描かれています。さらによく見ると、オーロラの下の部分や、西や東の端が黒っぽく描かれていることもわかります。

研究の内容

岩橋特任准教授は、京都市伏見区の東丸神社に所蔵されている東羽倉家の日記を調査する過程で、『星解』に描かれたオーロラと同日のオーロラの記述を発見しました(文献4)。この日記には、オーロラが空の半分を覆ったことや、オーロラの筋が天の川を貫いた、と書かれていました。以下に日記の該当部分を示します。(斜字体は引用部分)

写真2:東羽倉家の日記の該当ページ。東丸神社提供。

一二十八日 晴
一今夕酉刻より北方之空中赤気有之、遠国若狭之方大炎色可有之旨噂有之候処、亥刻過より弥以甚紅色之雲気北方半天銀河之傍ニセまり、中ニ白気直ニ立上り幾十筋共なく子刻過迄同事、忽明忽薄く西方東方ニ掛り、半天赤気ニ相成、赤気之中ニ星も透見、白気一筋銀河ヲ貫き、丑刻ニ至相納、(中略)社中何も仰望、色々論談之処、古来噂も無之天変可畏と之事而已申談也、寅刻ニ而晴天、如是相成也、天変如此、吉事与ハ不被存、大旱故之儀也、然天文方ニ而ハ可承合事

現代語訳(カッコ内は訳注) :
28日(1770年9月17日) 晴れ。
今日、夕方午後6時頃(午後5時から7時の間)北の空に赤気が現れた。遠く若狭国(現在の敦賀市を除く福井県全域)の方が炎のような色になっていると噂になっていたが、午後10時頃(9時から11時の間)を過ぎると、ますます赤くなり、紅色の雲が北側の空の半分を覆い銀河(天の川)にせまり、赤気のなかに白気がまっすぐに立ち上り幾筋もあらわれ、その状態が午前0時頃(午後11時から午前1時の間)まで続いた。赤気はにわかに明るくなったり、色が薄くなったりして、空の半分が赤気に包まれた。赤気の中には星が透けて見え、白気が一筋銀河を貫き、午前2時頃(午前1時から3時の間)には落ち着いた。(中略) 神社の人々は空を仰ぎ、いろいろ話し合ったが、昔から噂にも聞かない天変で恐ろしいとだけ言っていた。午前4時頃(午前3時から5時の間)空は晴れて通常に戻った。これが天変の次第であり、とても吉事とは思えない。大かんばつのゆえである。江戸幕府の天文方に問い合わせるべきことである。

図1:1770年9月17日に京都から見えたであろうオーロラの形を再現した結果。京都上空では地磁気の磁力線が約45度傾いており、オーロラが磁力線に沿っていたと仮定。さらに赤いオーロラの典型的な高さ(下端が200 km、上端が500 km)を仮定。縞の間隔は、スパイラルパターンとして知られている100 km間隔に設定した。

続いて片岡准教授は、東羽倉家の日記の記述をもとに、京都からのオーロラの見え方を計算しました。「オーロラが天の川を貫いた」という記述と、この日の天の川が京都の天頂付近に位置していたことから、オーロラが京都の天頂にまで広がっていたと仮定し、京都から見たオーロラを再現しました。その結果、『星解』の絵図とほぼ同じ形が得られました(図1)。このことは、この仮定がほぼ正しい、つまり、この時京都から見えたのは、遠くの空に輝くオーロラの末端ではなく、京都の天頂近くまで広がった巨大なオーロラだったことを示しています。当時の京都の磁気緯度(注2)は24度であり、磁気緯度の低い場所にまでオーロラが広がっていたことになります。

実は、1859年の「キャリントン・イベント」の時にも、磁気緯度が24度から36度の場所で「天頂に達する筋状のオーロラ」が見られていたことが報告されています。1770年と同じ24度という低い磁気緯度の場所で、天頂にまで伸びるオーロラが見られていたことになりますが、地磁気は1770年のほうが強かったことを考慮すると、磁気嵐の規模は、1770年のほうが1割程度大きいと推定されます(注3)。

すなわち、『星解』や東羽倉家の日記に記されたオーロラが意味するのは、史上最大と言われた「キャリントン・イベント」と同等か、さらに規模の大きな磁気嵐が1770年に起こっていた、ということになります。

さいごに

もし、1770年のものと同じ規模の磁気嵐が現代に発生したら、例えばハワイのような低緯度の場所でも『星解』の絵図のような放射状のオーロラを見ることができるでしょう。同時に、通常は緯度の高い地域に限られているようなオーロラの影響による停電事故も、緯度の低い地域で起こる可能性があります。ただし、太陽活動が弱くなっている今では、そのような巨大磁気嵐の発生確率は非常に低いと考えられます。

また、本研究で、『星解』や東羽倉家の日記が現在の科学の分析に耐えうるものであることが改めて示されました。江戸時代の人々の天文に関する関心は高く、特に珍しい天体現象を細かく書き残し、後世に情報を伝えていく習慣がありました。今回の成果はこうした江戸時代の記録管理のあり方が現在の最新の科学研究と結びついて導かれた、250年前の“市民科学”による研究成果だと言えるでしょう。

注1:『星解』については、3点の写本が現存しているが、今回の調査ではこれらの写本の比較検討を行い、もっとも原本に近い松阪市郷土資料室所蔵本をもとに分析を行った。

注2: 磁気緯度: 地球を北がS極、南がN極の棒磁石に例えた場合に、その棒磁石の軸が地表と交わる点をそれぞれ北緯90度(地磁気北極)、南緯90度(地磁気南極)とした場合の緯度。

注3: 地磁気の強さは現代と比べて、1859年では7%、1770年で14%強い状態であり、1859年と1770年で、もし同じ磁気緯度でオーロラが見られたとしても、1770年のほうが磁気嵐の規模は大きかった、ということになる。しかし、オーロラの緯度と磁気嵐の規模の対応関係にはばらつきがあるため、実際には磁気嵐の規模は同じ程度だった、という可能性も否定はできない。

文献

文献1: 早川尚志, 岩橋清美, 「東アジアの歴史書に記録されたキャリントン・イベント」,天文月報, 110(7), 2017

文献2: 国立極地研究所, 国文学研究資料館, 総合研究大学院大学, 京都大学, プレスリリース「『明月記』と『宋史』の記述から、平安・鎌倉時代における連発巨大磁気嵐の発生パターンを解明」, 2017年3月21日, http://www.nipr.ac.jp/info/notice/20170321.html

文献3: 中沢陽, 「日本における低緯度オーロラの記録について」,天文月報, 92(2), 1999

文献4: 岩橋清美, 山本和明, 磯部洋明, 寺島恒世, 玉澤春史, 片岡龍峰, 「1770年9月17日の『赤気』について」, 第6回極域科学シンポジウム発表要旨, 2015, http://www.nipr.ac.jp/symposium2015/program/abstract/OS_Iwahashi_00311_01.pdf

発表論文

掲載誌: Space Weather
タイトル: Inclined zenith aurora over Kyoto on 17 September 1770: Graphical evidence of extreme magnetic storm
著者:
片岡 龍峰(国立極地研究所 宙空圏研究グループ 准教授/総合研究大学院大学 准教授)
岩橋 清美(国文学研究資料館 古典籍共同研究事業センター 特任准教授)
論文公開日: 2017年9月18日(米国時間)
URL: http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/2017SW001690/abstract
論文原稿公開URL(著者個人サイト)
URL: http://researchmap.jp/mu3742pn5-1809427/#_1809427

研究サポート

本研究は、総合研究大学院大学の学融合共同研究事業、国文学研究資料館の「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画(歴史的典籍NW事業)」で実施されました。東丸神社所蔵東羽倉家文書の調査については、平成27年度科学研究費補助金 基盤研究(B)「近世における前期国学のネットワークの形成と文化・社会の展開に関する学際的研究」(研究代表者:國學院大學 根岸茂夫教授、15H03242)のサポートを受けました。また、本研究の基盤となる1770年のオーロラ関連文献の収集においては、各地の文書館・博物館・図書館などの資(史)料保存機関にご協力いただきました。

お問い合わせ先

研究内容について

国立極地研究所 宙空圏研究グループ 准教授 片岡龍峰
国文学研究資料館 古典籍共同研究事業センター 特任准教授 岩橋清美

報道について

国立極地研究所 広報室
国文学研究資料館 古典籍共同研究事業センター事務室
総合研究大学院大学 広報社会連携室
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