大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所

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研究成果

気候変動は菌類の生息場所も奪う ~北極・氷河域の菌類の調査から判明

2022年4月21日
大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 国立極地研究所
独立行政法人国立高等専門学校機構 旭川工業高等専門学校

世界最北端の有人島であるカナダ高緯度北極のエルズミア島にあるWalker氷河は、近年の気候変動に伴い急速に後退している氷河の一つとして知られています。旭川工業高等専門学校の辻雅晴准教授、国立極地研究所の内田雅己准教授、カナダ・ラバル大学のW. F. Vincent教授らの研究グループは、これまでWalker氷河や氷河が後退して地面が露出した氷河後退域に生息する菌類を継続的に調査してきました。今回、研究グループは、Walker氷河域において氷河上の2か所と氷河後退域7か所における菌類の構成を調べました。その結果、氷河上と氷河後退域では、生息している菌類種の大部分は異なっており、氷河上から見つかった菌類の多くは、氷河後退域から見つけることはできませんでした。これは、気候変動により氷河が失われると、氷河上に生息している菌類の多くは、生息場所を失い絶滅する恐れがあることを示しており、ホッキョクグマなどと同様に菌類も気候変動の影響を受けることが明らかになりました。

本研究成果は2022年1月29日付で国際学術雑誌「Sustainability」に公開されました。

研究の背景

カナダのエルズミア島は、北緯83度に位置する世界最北の有人島として知られています。この島の北東部にある通称Walker氷河(図1)は、氷河の融解により、1959年から2013年までの54年間に平均1.3m/年の速度で末端が後退して地面の露出が進んでいました。しかし、研究グループの調査の結果、2013年〜2016年にはその速さが3.3m/年となり以前の2.5倍に達していたことから、高緯度北極でも大きな環境変動が起きていることが示唆されていました。

図1:(左)Walker氷河の位置。(右)Walker氷河。2016年7月、田邊優貴子撮影。

菌類は有機物の分解者として生態系の中で重要な役割を果たしていることから、菌類相(注1)の変化は極地における生物群集の遷移(注2)や物質循環に大きな影響を及ぼします。本研究グループではこれまでにエルズミア島で菌類の調査を行い、氷河域に適応した4種の新種の菌類を報告しています。しかし、これまでのところ、氷河の後退がこれらの貴重な新種の菌類を含む菌類の多様性にどのような影響を及ぼすのかは未解明でした。

結果

2016年7月、研究グループのW. F. Vincent教授(カナダ・ラバル大学)らは、Walker氷河における微生物調査のため、氷河からその後退域にかけての9地点で試料を採取しました。これらの試料を日本に持ち帰り、旭川高専の辻准教授、極地研の内田准教授らが分析したところ、合計で325株の菌類が分離されました。これらの菌類に対してリボソームDNAの塩基配列を用いた系統解析(注3)を行い、9地点における菌類の多様性を解析しました。その結果、氷河上に生息している菌類の種構成と氷河後退域に生息している菌類の種構成の多くが異なること(図2)、Walker氷河上に生息している菌類の中には、未報告の新種と思われる菌類やこの地域の固有種と考えられる菌類も多く存在することが分かりました(図3)。これらの菌類はWalker氷河とその後退域の生態系における有機物分解者として物質循環に寄与しているため、環境への影響が大きい可能性があります。

図2:各サンプリング地点における菌類の種構成をクラスター解析した結果
地点0(Site0)と地点1(Site1)、地点2(Site2)から地点8(Site8)で菌類の種組成は大きく異なっていることが分かる。地点0と地点1は氷河上の観測地点、地点2から地点8は氷河後退域の観測地点になる。

図3:氷河上と氷河後退域から分離した菌類の重複種と非重複種を示したベン図
氷河上には特有の菌類群集が形成されていることを示している。

このことは、このまま環境変動が続き、氷河が完全に失われると、氷河上に生息している菌類の多くはその生息場所を失い、絶滅してしまう恐れがあることを示しています。北極の温暖化は、ホッキョクグマのように大型の動物だけでなく、菌類のような微生物にも影響を与えています。

今後の展開

今後も、Walker氷河域における菌類の多様性調査を進める予定です。また、環境変動が菌類以外の微生物にどのような影響を与えているのかについても、解析対象を菌類以外の生物にまで拡大し、ショットガンメタゲノム解析(注4)などの手法を用いて解析を進めたいと考えています。また、研究チームは、Walker氷河域に生息している菌類が絶滅の危機に瀕していることから、この氷河に生息している菌類を冷凍保存して後世の人のために残すことで、研究への利活用や絶滅危惧種の保護という社会や教育に貢献する活動も進める予定です。

発表論文

掲載誌:Sustainability
タイトル:Glacier Retreat Results in Loss of Fungal Diversity

著者:
 辻 雅晴(旭川工業高等専門学校 物質化学工学科)
 Vincent, Warwick F.(Université Laval(カナダ))
 田邊 優貴子(研究当時:国立極地研究所 生物圏研究グループ)
 内田 雅己(国立極地研究所 生物圏研究グループ)

DOI:10.3390/su14031617
URL:https://doi.org/10.3390/su14031617
論文出版日:2022年1月29日

注1:菌類相
ある特定の環境で生育する一群の菌類の構成。

注2:遷移
生物群集の移り変わりのこと。

注3:リボソームDNAの塩基配列を用いた系統解析
真核生物のリボソームDNAの中のITS(Internal Transcribed Spacer)領域の塩基配列を用いた系統解析。全ての生物はリボゾームDNAを持っているため、この方法は菌類の分類や同定に広く利用されている。

注4:ショットガンメタゲノム解析
大量のDNAを高速解析できる次世代シーケンサーを用いて、サンプル等から取り出したゲノムDNAを網羅的に解析することにより、生物種の構成や機能などを解明できる手法。

研究サポート

本研究は北極域研究加速プロジェクト(ArCS II)(JPMXD1420318865)、JSPS科研費(若手研究(A)16H06211)、発酵研究所 若手研究者助成(Y-2018–004)および極地研プロジェクト(KP-309)の助成を受けて実施されました。

お問い合わせ先

(研究内容について)
旭川工業高等専門学校 物質化学工学科 准教授 辻 雅晴

(報道について)
国立極地研究所 広報室

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