極vol.20 スペシャル対談
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スイス生まれの“世界一有名なペンギン”
アニメ「ピングー」が世界中で愛される理由

「ピングー」は、南極で暮らすペンギンのピングーの日常を描いたクレイ・アニメ。今から40年以上前、スイスで誕生しました。それ以来、ピングーとその仲間たちの愛らしい姿と仲間とのほのぼのとしたやりとりが、世界中で愛され続けています。子どもだけでなく、大人の心もとらえる「ピングー」の魅力について、原作者のオットマー・グットマンさんが亡くなった後、制作を引き継いだ甲藤征史さんと、スイスへの研究留学の経験もある国立極地研究所副所長の榎本浩之教授(対談当時)に語っていただきました。

甲藤 征史(かっとう せいし)
甲藤 征史(かっとう せいし)

高知県出身。大学中退後、横山隆一のアニメーション制作会社「おとぎプロ」に入社。その後、トキワ荘出身の漫画家を中心に設立された「スタジオゼロ」にうつり、アニメ「パーマン」や「おそ松くん」などの制作にかかわる。1969年、「何か新しいことに挑戦したい」とドイツに移住。ドイツを中心に、チェコ、スイスなどで新聞マンガ、アニメ、イラストなどを制作。1993年から5年間、「ピングー」の制作にも携わった。

榎本 浩之(えのもと ひろゆき)
榎本 浩之(えのもと ひろゆき)

国立極地研究所副所長、広報室長、北極観測センター特任教授。専門分野は雪氷学、気象学、リモートセンシング工学。1983年に北海道大学工学部を卒業後、筑波大学で修士号(環境科学)、スイス連邦チューリヒ工科大学で博士号(自然科学)を取得。北見工業大学工学部教授を経て、2011年から国立極地研究所教授。現在、国際北極科学委員会 Vice-President(副議長)も務めている。

「ピングー」の世界に反映された
スイスののどかな雰囲気

制作中のオットマー氏

「ピングー」制作チーム、一番左が甲藤氏

榎本 甲藤さんが「ピングー」の制作に携わるようになったのは、どのような経緯があったのですか?

甲藤 私がドイツでアニメの仕事を始めて4〜5年たったころ、原作者のオットマーといっしょにクレイ・アニメ制作をすることがあったんです。同じ仕事をして気があったんでしょう。これがオットマーとの出会いです。

榎本 それがきっかけで?

甲藤 はい。1990年にスイスで「ピングー」の放送が始まり、これからという93年にオットマーが急逝したため、急遽、制作チームに加わることになりました。絵コンテを作ったり、人形をひとコマひとコマ動かして撮影したりするのが私のおもな仕事です。ドイツ語圏でクレイ・アニメ制作の経験者が少なかったこともあって、私に白羽の矢が立ったのでしょう。

榎本広報室長 スイス留学時の写真

榎本 「ピングー」の制作はスイスのスタジオで行われたそうですね。実は私も1985〜89年の4年間、スイスのチューリヒで暮らした経験があるんです。氷河を調査して、雪や氷の研究をしていました。

甲藤 そうだったんですね。スタジオはチューリヒから電車で30〜40分の距離にあるルシコンにあり、「ピングー」の制作中は、ほとんどをそこで暮らしました。

榎本 スイスの雰囲気は日本とまったく違いますね。田園風景が広がっていて、天気がよい日はしょっちゅう外でバーベキューをしたり、リラックスしたムードがありました。

甲藤 ルシコンのスタジオはチューリヒ郊外の村なので、一歩外に出ると牧場があって牛がたくさん放牧されていました。夜、仕事をしていると牛の首についた鈴の音が聞こえてきたりして……。本当にのどかな場所でしたね。

榎本 「ピングー」の舞台は南極ですが、ピングーたちがクロスカントリースキーをしたり、郵便局員のお父さんの帽子にPTT*1のラッパのマークがついていたり、スイスを思い起こさせるところも多いですね。

甲藤 そうですね。「ピングー」の世界ののどかな雰囲気も含めて、スイスの風景や生活があちこちに反映されていると思います。

榎本 スイスの風景というと郵便バスもよく覚えています。山岳地帯を鮮やかな黄色いバスが郵便物と人をのせて走る姿や、ホルンの音色のような独特なクラクションの音などが思い出されます。

甲藤 昔はバスではなく、郵便配達用の馬車が使われていて、その色が黄色だったから、バスの色も黄色になったのでしょうね。

榎本 そうなんですか。スイスはポストの色も黄色ですよね。街の中を歩いていると、配達中の郵便局員さんに出くわして挨拶されることもありました。スイスに住む人たちにとって身近な存在だからこそ、オットマーさんは、ピングーのお父さんの職業に選んだのかもしれませんね。

ぼくがお届けします!【ピングー名シーン「お手紙届けます」より】

*1 PTTとは……スイスの郵便電信電話公社のこと。昔はラッパのマークを使用していた山の郵便バスは子供たちだけでなく、スイスの人気者でもあり、働いている人は英雄である。

南極が舞台だからこそ際立つ
ピングーたちの表情や動き

榎本 一方で、透明な氷柱の質感や、空の色や太陽の光によって変化する雪景色など、南極の風景もとてもうまく表現されているなと感じました。スイスで、本物の雪や氷に触れた人が作っているからでしょうね。

甲藤 専門家の方にそういっていただけるとうれしいです。たしかに、背景には制作スタッフが実際に感じた「冬」が表現されていると思います。

キレイな音だなあ【ピングー名シーン「ピングーのつららで音楽」より】

榎本 南極などで雪と氷の世界を目の前にして、「白」といってもいろいろな白があるんだなと感じたのですが、「ピングー」の住む世界も同じように白の濃淡で描かれていながら、単調に感じられないのがすごいです。

甲藤 ありがとうございます。白い氷や雪だけのシンプルな背景は、余計なものがない分、子どもたちの注意が分散せず、話の中に入り込みやすいという効果もあります。

榎本 なるほど。たしかに背景にものが少ないと、ピングーたちの生き生きした動きがより際立ちますね。

甲藤 ピングーたちがしゃべる言葉には意味がありませんし、ナレーションもないのでストーリーや登場人物の気持ちは、手足や目、口を動かしたり、体を伸ばしたり縮めたり、動きや表情で伝えなければなりません。ピングーたちが映える南極を舞台にしたのは、オットマーのよいアイデアだったと思います。

自分のイメージ通りの表現が作れる
クレイ・アニメをつくるおもしろさ

榎本 人形を実際に、伸ばしたり、縮めたりするというのは、粘土(クレイ)ならではの表現ですね。すべての動きが人間の手で作られているところがおもしろいです。

「ピングー」制作中の甲藤氏。1シーン撮るたびに顔や胴体を変えていきます。

甲藤 そうですね。自分で背景をつくって、そこに人形を置いて動かして、それをカメラで撮影して……の繰り返しです。一連の動きを撮影するとき、基本的に自分ですべてをコントロールできるところが、私がクレイ・アニメを作っていておもしろいと思うところです。

榎本 透明なシートに絵を描くセルアニメの場合は違うのですか?

甲藤 はい。セルアニメ制作の場合ですと、アニメーターは作画の後、トレース、彩色、撮影と作業が続くことを常に意識します。予算もかぎられているので、動画の枚数を制限することもしばしばです。一方クレイアニメは、コマ撮り撮影すれば、それで画像ができあがりますから、アニメーターの表現が制約されないという利点があります。自分でやろうと思えばいくらでも、自分の思ったとおりの表現ができるんです。

榎本 ピングーたちのコミカルな動きには、そういうスタッフさんたちのこだわりが詰まっているのですね。

甲藤 もちろん、通常のアニメのほうが優れている部分もあります。絵であれば、どんな動きでも描写できるので、表現が自由ですよね。一方、クレイ・アニメの場合は、ものが飛んだりする様子や雪や雨が降っているところ、煙などの表現はとても難しいです。

榎本 なるほど。そういうことがわかったうえで「ピングー」を見ると、また違った魅力が発見できそうですね。

多様な言葉が飛び交う環境のなか
生まれた世界中で伝わる表現

榎本 ピングーたちの話す言葉は「ピングー語」などと言われますが、あの言葉はどのように生まれたのですか?

甲藤 オットマーがどのようにピングーの言葉を作り出したのか、その経緯ははっきりとはわかりません。けれども、私はスイスの言語環境が大きく影響しているのではないかと考えています。

榎本 スイスには、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語など、さまざまな言葉を話す人がいますよね。

甲藤 はい。さらに、同じ言語でも地方によってちがう方言が話されていて、本当に多様な言葉が使われています。日本では考えられないですが、アニメーターの会議に出席しても、ドイツ語で話す人もいれば、フランス語で話す人もいたり、さまざまな言語が飛び交うのがふつうです。そういう環境のなか、ピングーの何語でもない言葉、名付けてしまえば「国際語」が生まれたのではないでしょうか。

榎本 まさに! 異なる言葉を話す人たちが集まっていたからこそ、世界のどの国の人にも伝わる表現が作られたのでしょうね。

言葉の壁よりも高かった
東西の壁

榎本 甲藤さんがドイツに移住されたとき、言葉で困ることはなかったのですか?

甲藤 最初は苦労しました。日本で少しドイツ語を勉強してはいたのですが、まったく役に立たなかったので、いつも辞書を持ち歩いていました。

榎本 働きながら実用的な言葉を身につけられたのですね。

甲藤 そうですね。今でも十分とはいえませんが。

榎本 チェコスロバキア(現在のチェコ)のプラハでもお仕事をされたことがあるそうですが、そこでは、どのようにコミュニケーションをとっていたのですか?

甲藤 欧州はたくさんの国家が隣り合わせになっているため、他国語を話せる利点も多く、人々の他国語学習意欲が旺盛です。この傾向はチェコスロバキアのような小国になるほど顕著なんです。それに、類似した言葉がたくさんあるので、身振り手振りも交えながらですが、なんとか意志疎通ができました。

榎本 欧州で暮らすと、母国語以外の外国語でコミュニケーションをとる機会も珍しくないですからね。

甲藤 私の下の息子はスウェーデンで働いていますが、誰でも英語が驚くほど堪能だとのことです。映画は吹き替えなしのスウェーデン語の字幕入り、日本のコミックは英語圏からの輸入本。スウェーデンの総人口は東京都の人口より少ないので、翻訳しないことが習慣になっているようです。つまり、子供のときから英語の理解力習得は必須だということです。日本では外国語を話せなくとも日常困ることはありません。日本が島国であることと、日本の総人口が大きいことが原因だと思われます。

榎本 たしかに。日本と欧州とでは言語環境がまったく異なりますよね。

甲藤 そうですね。そういった経験が言葉のない「ピングー」の世界を作るときにも役立っていたのかもしれません。プラハで仕事をしたときたいへんだったのは言葉よりも、現地へ行くための手続きなどですね。

榎本 当時はまだ、ドイツが東西に分かれていた時代ですよね。

甲藤 そうなんです。ですから西ドイツから東側の国に行く際には、厳重なチェックがあったんです。仕事に使う機材を含めて持ち物をすべて調べられますし、持っていけるお金も制限されました。今思うと、貴重な経験をしましたね。

榎本 その後、1989年11月にはベルリンの壁崩壊が起こりました。私はその直前にスイスから日本へ帰国してしまっていたのですが、甲藤さんはあの歴史的な出来事を現地で体験されているんですね。

甲藤 はい。私がドイツに渡ったころは、みんな「東西ドイツが統一するなんてありっこない」と言っていました。その起こり得ないことが起こったんです。100年に1度あるかないかという、歴史が変わる瞬間に居合わせたことはある意味、幸運なことだと思っています。

人懐っこくて寂しがりや?
愛らしい南極のペンギンたち

甲藤 榎本さんは南極観測隊にも参加した経験があるそうですが、そのときペンギンとは対面されましたか?

榎本 はい。南極に住むペンギンはとても人懐っこくて、好奇心旺盛なんですよ。私たちが雪や氷の調査をしていると近くによってきて、邪魔するように真っ白な雪上に足跡をつけたり、はてはそばで眠ってしまったりするんです。

甲藤 かわいいですね。

榎本 寝ている間に私たちが移動していると、目が覚めたペンギンがあわてて追いかけてくることもありました。

甲藤 ペンギンの歩き方は独特でとてもおもしろいですよね。それでいて集団でちょこちょこ歩いているのを見ていると、人間のように見えることもあります。

榎本 アニメではピングーが転がって移動するシーンがありましたが、実際のペンギンもおなかですべって移動するんですよ。南極のペンギンもピングーのように愛らしい存在です。

甲藤 ペンギンを研究している方もいるのですか?

榎本 はい。ペンギンの生態はまだまだわかっていないことも多いので、研究者はペンギンの背中にビデオカメラをつけてペンギンの行動を調べたりもしています。その映像では、ペンギンたちが長距離を移動したり、水中を高速で泳ぎ回って魚をつかまえたり、冒険している姿を見せてくれます。

甲藤 ペンギンは彼ら独特の時間感覚のなかで自由に生きていて、人間の感覚とはまったく違うのでしょうね。

地球温暖化による南極への影響は?
今後の研究に期待

甲藤 ペンギンについてもこれから、どんな発見があるのか楽しみではありますが、一方で、ペンギンの住む南極の環境変化が心配ですよね。

榎本 はい。ペンギンの生態への影響も心配されます。温暖化が進めば、南極の氷床や海氷にも大きな影響が出てくるでしょう。

甲藤 普段から環境汚染などのニュースには注目していますが、自然にやさしく、自然に即した生き方をするのが理想ではないでしょうか。経済を回すことも大切ですが、現代社会は、あまりにもものを作って消費し、利益を得ることばかり考えていて、危うさを感じます。

榎本 そうですね。「ピングー」は撮影した静止画を早回しして動画を作っていくわけですが、人間は最初から早回しで生活しているような気がします。せわしすぎて大切なものを見逃してしまいそうです。

甲藤 そうですね。だからこそ科学者の方々の研究はとても重要だと思います。南極の氷を調べると、地球の環境がどのように変化してきたかの歴史がわかるそうですね。

榎本 はい。そこから未来の変化を予測して、地球温暖化の抑制に役立てていくことが目標です。

甲藤 ますます南極の研究に注目ですね。今後の研究成果に期待しています。

文:小川由希子  写真(榎本プロフィール写真、対談時の写真):山本真司

極地研の50年、ピングーの40年

極vol.20 スペシャル対談 拡大ver. 番外編

2023年2月、ドイツに住む甲藤さんと、榎本特任教授(勤務先である東京都立川市の極地研で)は、「極」20号・特集ページ作成のため、リモートで対談をおこないました。直線距離にして約9,000キロ。話はとても弾み楽しい時間でしたが、実際にお会いできていたら、もっと話が弾んでいたのでは…ちょっと心残りがある、そんな対談でした。
2023年5月、スイスの国際会議に出席した榎本特任教授は、お隣の国ドイツへ足をのばし、甲藤さんに会いに行きました。

甲藤さんのお住まいは、ドイツの田舎にありました。古い大きな農家には、ピングーやいろいろな作品のイラスト、古書店などを回って集められた欧州から日本を描いた書物や地図、そして自ら山河を歩いて集められた化石のコレクションがありました。世界も時代も超えた不思議な迷路に入り込んだ感じです。
いろいろな木や花で覆われている庭も魔法の空間です。庭のミツバチたちの冒険や生きていく仕組みのお話しも始まりました。
私からは、極地の自然と生き物、そこでの人の生活のお話をしました。質問が尽きない甲藤さん夫妻、夜遅くまで話は尽きませんでした。
ピングーの世界は、こんなマジックワールドと人々につながっているのだと感じました。

スイスの郵便バス(ドイツ語ではペーテーテーブスとよびます)①

スイスの郵便バス②

スイスの車窓から

ドイツの車窓から①

ドイツの車窓から②

ドイツ田舎町の駅前風景

甲藤さんのご自宅兼スタジオ①

甲藤さんのご自宅兼スタジオ②

庭には蜂の巣箱も はちみつは食卓へ

庭に生えているタケノコ①

庭に生えているタケノコ②

甲藤家の食卓(タケノコの煮物)

甲藤家の食卓(ケーキ)

岩石や化石のコレクションと書物

「極」を手にする甲藤さん

ついにご対面!

「マルコ・ポルの冒険」

甲藤さんのサインとイラスト