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1910年6月、テラノバ号でイギリスを出帆し、10月オーストラリアのメルボルンに入港したスコットは、そこで「我南に向かう」というアムンセンからの電報を受けとりました。北極点到達をめざしていたアムンセンは、1909年4月、アメリカのピアリーによる北極点到達がなされたので、その目標を南極点へと変更したのです。
1910年8月、フラム号でノルウェーを出港したアムンセンは大西洋のマデイラ島に寄港したとき、その目的地を南極に変えました。1911年1月9日、上陸地点として選んだ鯨湾に到着し、越冬基地を建設し、フラムハイムと命名しました。9名の越冬隊員は冬ごもりの間に極点へのルートの開拓、116頭の犬の訓練など、目的達成に向けて綿密な準備を行いました。
1911年10月15日、アムンセンら5名が、52頭の犬に4台のそりをひかせフラムハイムを出発しました。12月14日15時、アムンセンの合図で前進をやめ、その位置を測定、南極点と決定し、ノルウェーの国旗を掲げ、テントを張りました。彼らは17日まで滞在し、極点の位置の決定に正確を期し、最終的にはテントから9km進んだ地点を「南極点」としました。またテントのなかへは、途中の事故に備え、スコットへの手紙を残し、帰路につきました。1912年1月25日、一行は11頭の犬とともに元気でフラムハイムに帰着しました。全行程3000kmを98日間で、走破したことになります。
シャクルトン隊が1908-1909年にかけての探検で、南極点に到達できなかったことを知ったスコットは、再び探検隊を組織しました。ロス島のエバンス岬に小屋を建て、1911年1月25日から、25名の隊員が19頭の馬、30頭の犬とともに越冬をはじめました。極点旅行に備えてのデポ旅行(物資補給のための旅行)ばかりでなく、「世界最悪の旅」とよばれている、コウテイペンギンの卵の採集旅行をはじめとする数々の調査旅行も行われました。
極点への旅行は1911年11月1日からはじまりました。サポート隊を次々に基地に帰し、1912年1月3日、スコット、ウイルソンら5名が最終メンバーとなり南へ進み、1月16日にアムンセン隊の残した目印を発見したのです。17日に失意のうちにアムンセンのテントを発見し、南極点に到達しました。19日まで滞在し、測量をし、極点を決め、帰途につきましたが、ロス棚氷上のデポ地点を目前にして、悪天候にはばまれ、不帰の客となったのです。
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