北極大気環境研究
研究の背景
全球平均の3倍以上の速さで進行している北極温暖化の主要因は、全球での大気中CO2の濃度増加と北極域で働く各種のフィードバック(温暖化増幅)と考えられています。しかし同時に短寿命気候強制力因子(SLCF: short-lived climate forcer)、すなわち短寿命の温室効果気体であるCH4や、太陽放射を吸収するブラックカーボン(BC)エアロゾル(大気中に浮遊する微粒子)なども重要な役割を果たしていると考えられます。BCは大気加熱効果とともに、雪氷面への沈着によりそのアルベド(反射率)を低下させ、アイス・アルベドフィードバックを促進している可能性もあります。これらのSLCFは、その排出量を削減するとCO2と比べて短い時定数で大気中の濃度を減少できるため、北極温暖化を減速させる手段となる可能性が指摘されています。このため、北極評議会(AC)の北極圏監視評価プログラム作業部会(AMAP)のSLCFエキスパートグループでは、2021年にSLCF評価報告書を出版し(AMAP, 2021※1)、その科学的知見を得ることの重要性を改めて世に示しました。
しかしながら、SLCFの放射影響や削減効果の見積もりには大きな不確定性があります。第1に、北極大気中のBC濃度は長年にわたり複数の観測地点において主として欧米の研究機関により観測されてきていますが、その測定精度の検証は必ずしも十分ではなく、系統的な相互比較も行われてきていません。したがってBC影響評価の基盤となる大気中濃度には不確定性があります。第2に、北極域のBCをはじめとするエアロゾルの発生源としては、放出量の多い中緯度からの輸送や高緯度の森林火災などが重要と考えられますが、観測データの不足や数値モデル計算の不確定性により、それらの寄与や影響評価には不確定性があります。第3に、CH4にはさまざまな放出源(湿地、化石燃料、森林火災、反芻動物など)が存在しますが、それらの広域分布や変化を把握することは容易ではないため、その発生源・消失源収支の評価には大きな不確定性があります。さらに永久凍土の融解はCO2やCH4の潜在的な発生源であり、北極温暖化において正のフィードバックとなりえることが指摘されていますが、定量的な議論をするのに必要な観測が極めて限られています。
本研究の目的と研究成果の概要
本研究の目的は、北極気候に影響を与える温室効果気体やエアロゾルなどの大気物質の動態、発生源・消失源、変動要因、雲・放射影響を、日本の強みである先端的な観測や数値モデル研究により評価・解明することです。そのため温室効果気体研究では、大気中のCO2、CH4、N2O濃度とその同位体比(δ13C-CO2やδ13C-CH4)、O2/N2比を地上基地、船舶(海洋地球研究船「みらい」)、民間航空機を用いて高精度測定しました。これらの観測データを解析することにより、海洋と陸上生物圏によるCO2の平均取り込み率を推定しました。また、観測データと数値モデルを用いた解析によって、2018年頃以降のCH4濃度の急激な上昇は、微生物によるCH4排出量の増加に起因する可能性があることを示しました(図1)。
エアロゾル研究のうちBCについては、その屈折率の信頼性の高い推定、北極域における統一的なBCデータセット構築のための科学的根拠の提示、さまざまな地域の人為起源およびバイオマス燃焼起源からの北極域BCへの寄与推定(図2)、北極へのBC輸送に対する北極振動などの気象場の影響評価などを行いました。BC以外の北極エアロゾル研究では、高い氷晶形成能力をもつ氷晶核(INP)の夏季の増大や、これらのINPが鉱物ダストや生物エアロゾルである可能性を提示するとともに、これらの観測的知見を取り入れた数値モデルにより、これらのINPの雲への影響を評価しました。また「みらい」北極航海では、太平洋側の北極海において唯一となるBCやINPを含む統合的なエアロゾル観測をほぼ毎年実施し、生物活動が活発な時期には海洋生物が北極海上のバイオエアロゾル、雲凝結核、INPの発生源となることなどを示しました。本研究ではまた、これらのさまざまな観測によって検証・改良された数値モデルを用いて、北極域の各種温室効果気体やエアロゾルの有効放射強制力を評価しました。さらに20世紀前半の北極温暖化と中頃の寒冷化に対して、温室効果気体やエアロゾルの果たした役割を評価しました。
本プロジェクトで実施された観測の一部は本プロジェクト以前から継続して実施されており、これらの高精度観測データは世界の温室効果気体・エアロゾル研究で活用されています。また本研究の成果は、AMAPのSLCF評価報告書(AMAP, 2021※1)にも反映されました。これらの科学的知見は、本プロジェクトの戦略目標①のみならず、戦略目標②・③・④へも貢献しました。

(出典:https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20240418/)

※1 AMAP, 2021. AMAP Assessment 2021: Impacts of Short-lived Climate Forcers on Arctic Climate, Air Quality, and Human Health. Arctic Monitoring and Assessment Programme (AMAP), Tromso, Norway. x + 375pp
※2 Matsui, H., Mori, T., Ohata, S., Moteki, N., Oshima, N., Goto-Azuma, K., Koike, M., and Kondo, Y.: Contrasting source contributions of Arctic black carbon to atmospheric concentrations, deposition flux, and atmospheric and snow radiative effects, Atmos. Chem. Phys., 22, 8989–9009, https://doi.org/10.5194/acp-22-8989-2022, 2022.
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