北極海環境動態の解明と汎用データセットの構築
背景
GRENE北極気候変動研究事業(GRENE北極)では、夏季の海氷縁後退が著しい太平洋側北極海の陸棚域を中心に、海洋生態系の変化に焦点を当てながら先端的な研究成果を創出してきました。その後継となる北極域研究推進プロジェクト(ArCS)では、自然科学と人文社会科学の連携によって成果の魅力化を図りながらそれを社会に還元する試みも進めてきました。一方、経済的観点における北極海の持続可能な利用に関する議論も活発化しており、最新の観測データや数値シミュレーション結果を社会実装に活用していくことが期待されています。北極海の中でも特に海盆域や氷縁域では、海洋熱輸送・生態系・物質循環に関する知見がまだ不十分です。近年の急激な海氷減少の要因としては、風系や海面熱収支の変化が挙げられていますが、海氷下に存在する海洋熱の影響も含めた包括的な評価が重要です。また、海氷域における生態系・物質循環は刻々と変化しており、現在の動態を把握しておくことは、将来予測も含めて生態系ベースの水産資源管理を実施していく上で緊急性の高い課題です。
目的
海洋課題では、北極海の海盆域や氷縁域を対象に海洋熱輸送・生態系・物質循環など環境動態の解明を進めて、激変する北極の保全や持続的利用に貢献することを目的として、後述する3つのサブ課題を設定しました。ただし、3つのサブ課題に対してそれぞれ独立したグループで取り組むのではなく、各メンバーが複数のサブ課題に関わりながら全体像を示していくことを目指しました。従来の船舶・係留系観測に加えて、最先端の可搬式センサー・プロファイリングフロート・波浪ブイ・自動採水・音響・映像機器などを駆使した先進的な観測システムを構築することで、重要な海域ながらアクセスが難しかった氷縁域や多年氷域にアプローチしていく試みがこれまでのGRENE北極・ArCSから大きく前進する点です。COVID-19やロシア‐ウクライナ情勢の悪化などさまざまな制約がある中で、海洋地球研究船「みらい」による北極航海を5年間継続して実施するとともに、他国の砕氷船・アイスキャンプ・観測拠点なども最大限に活用しました。さらに課題内外連携および社会実装を推進していく手段として、複数の汎用的なデータセットを構築し、北極域データアーカイブシステム(ADS)またはそれに準ずるウェブサイトにて公開しました。
本課題は多くの国際共同プロジェクトにおいても重要な役割を担ってきました。まず2020~2022年には、北極海の主要海域を複数船舶で連携しながら同時期に網羅する国際連携観測SAS(Synoptic Arctic Survey)に「みらい」も参加しました。2019~2020年に実施されたドイツ砕氷船「Polarstern」による北極海縦断観測MOSAiC(Multidisciplinary drifting Observatory for the Study of Arctic Climate)にも本課題メンバーが深く関わっており、広域・通年で取得した貴重なデータを解析することで、多くの成果を公表しました。また、PAG(Pacific Arctic Group)、ESSAS(Ecosystem Studies of Subarctic and Arctic Seas)、WGICA(Working Group on Integrated Ecosystem Assessment for the Central Arctic Ocean)、BEPSII(Biogeochemical Exchanges Processes at Sea Ice Interfaces)といったメジャーな国際的枠組みにも本課題を担うメンバーが属しており、代表クラスを務めてきました。これらに多くの大学院生や若手研究者を参加させることで、将来の北極海氷海洋研究をリードする人材を継続的に育成してきたとともに、成果やプレゼンスを世界に発信しました。
サブ課題の概要
サブ課題1では、季節海氷域から多年氷域に至る海洋熱・淡水輸送および物質循環をより詳細に明らかにするために、国際連携航海や北極海領域モデリングを融合させながら高精度データセットを構築するとともに、これらのデータセットを利用した課題内外連携を推進してきました。北太平洋および北大西洋をそれぞれ起源とする水塊の季節海氷域から多年氷域まで至る輸送過程(経路・流量・変質)を明らかにしました。既存の係留機器や人工衛星による観測データも活用しながら海氷下の亜表層水温極大を形成する暖水輸送の経路や年々変動の解析を進めました。さらに、大気・河川水・海底堆積物から海氷・海洋内部への物質供給にも対象を広げることで、海氷から海洋表層を経て海底までのシームレスな物質循環の理解を目指しました。大気‐海洋間CO2交換量については、ArCSで構築した統計ベースのデータセットや炭酸系を組み込んだ北極海領域モデルの実験結果も含めながら地域炭素収支評価プロジェクト(RECCAP2: REgional Carbon Cycle Assessment and Processes phase 2)の枠組みで国際比較を行いました。また、過去2,000年間の古環境復元を目的として多くの海底コア試料を採取しました。
サブ課題2では、植物プランクトンによる基礎生産量を衛星データから高精度に推定するアルゴリズムを改良し、北極海に最適化したマッピングを実施しました。この情報は海洋表層のCO2分圧とも密接な関係があり、サブ課題1で解析した大気‐海洋間CO2交換量の高精度化にも貢献するものです。係留系観測で得られたセジメントトラップの時系列データからは、植物・動物プランクトンの現存量・群集組成・生活史などを明らかにしました。これらに加えて、ボトムトロールによる生体の直接採取が困難な海盆域や海氷下も含めて、海水中に保持されている環境DNAの分析手法を確立し、遺伝情報からホッキョクダラなどの生息環境を明らかにするとともに、先進的な統計モデルを活用して、代表的な水産有用種の生息域を将来予測も含めて推定しました。
サブ課題3では、海氷を介した大気‐海洋相互作用を波浪やガス交換も含めて理解するために、船舶・漂流ブイ・係留系・レーダー・ドローン・アイスキャンプなどさまざまな手法を駆使した複合的な観測を実施しました。これらに基づいて、氷海観測手法のノウハウを蓄積するとともに、安全な氷海航行や高精度な氷縁予測に向けた知見を提供してきました。超音波氷厚計を装着した係留系による時系列観測、および氷上観測や船舶観測で採取した海氷・海水試料から物理・化学・生物特性(厚さ・内部温度・溶存ガス・栄養塩・クロロフィル濃度など)を分析するとともに、季節・経年変動メカニズムを明らかにしました。また、他国の砕氷船・アイスキャンプ・観測拠点も活用しながら国際基準となる海氷観測手法を確立してきました。氷縁域では「みらい」航海期間中に作業艇・可搬式センサー・波浪ブイ・ステレオカメラ・海氷波浪識別レーダー・合成開口レーダーなどによる複合的な観測を実施し、海氷‐海洋‐波浪相互作用に関する基礎的知見を蓄積しました。
これらのサブ課題はいずれも戦略目標①「先進的な観測システムを活用した北極環境変化の実態把握」だけではなく、戦略目標②~④にもそれぞれ貢献するものです(図参照)。

研究課題の背景や概要
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研究業績
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取得データ
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