温暖化する北極域から見るエネルギー資源と食に関わる人間の安全保障
背景と目的
本課題は、地球温暖化の北極域への影響を土壌や生態系等の観測によって評価するとともに、その社会的影響を人類のエネルギー資源と食という観点から解明することを目的としています。地域環境の変化は、エネルギー資源、水産・農業生産、さらに流通を左右するため、先住民社会を含む北極域人間社会の食料確保、さらには非北極域社会の食料消費のあり方にも影響します。エネルギーと食は人間社会が存立する生物学的基盤であるが、エネルギー資源は北極諸国家の経済政策・外交と密接に絡んでおり、地球社会全体像のあり方を左右します。また食は、経済生存の基盤であるとともに地域の文化的アイデンティティの源泉でもあります。この点で北極由来の食の生物生産に関わる自然環境変動とその社会側の対応を理解することは北極理解にとって極めて重要です。
こうした問題関心のもとで、本課題は3つのサブ課題を設けて、自然と社会文化双方の変化のダイナミズムを捉えることにしました。具体的には、(1)永久凍土荒廃の検出と影響評価、(2)北極域のエネルギー産業と地域経済への影響評価、(3)先住民の食生活・伝統文化・健康と安全な生活への影響評価です。北極域の人間の安全保障に関連し、脅威からの自由、欠乏からの自由、尊厳を持って生きる自由の実現に向けた学知の解明を目指しました。具体的には、気候変動由来の自然災害の脅威、エネルギー資源開発に関わる環境汚染や経済格差の解消、先住民の伝統文化とアイデンティティの持続的発展に向けた科学的知見の蓄積とその成果の社会還元です。
研究組織
本課題では、サブ課題のテーマに応じて基軸となる分野を定め、それに文理を含む異分野の学際的な研究ができる組織構成を取りました。サブ課題1では、自然地理学・水文気象学・リモートセンシングを基軸として、人文地理学や文化人類学が加わりました。サブ課題2では、経済学を基軸として、資源工学や文化人類学が加わりました。サブ課題3では、文化人類学を基軸として、言語学や保健学などが加わりました。こうした構成によりサブ課題内でも学際的な検討ができる体制となり、同時にサブ課題間での交流を常時行うことで、柔軟で機動的な研究体制を構築できました。
ステークホルダーとの関係において、ロシア科学アカデミーシベリア支部の諸研究機関、フィンランド・ラップランド大学、アラスカ大学フェアバンクス校国際北極圏研究センター(IARC: International Arctic Research Center)、グリーンランドの天然資源研究所(GINR: Greenland Institute of Natural Resources)および自治体と連携して共同研究を進めました。
研究結果
永久凍土荒廃は、人為的な改変履歴を伴った地表面で急速に進行しつつある実態がわかりました。また、そのことは現地住民によって認知されている現象であったことが判明しました。永久凍土荒廃がもたらすさまざまな環境変化は、現地住民が自らの生業に関わる伝統知が通用しない変化に直面する中で、科学的な評価に基づく将来対応についてさらに協働が必要であることを提起しました。ここからは、気候変動の影響が一定区画の生態系に同じように作用するのではなく、近過去における人間活動による土地利用がその作用の違いを生み出していることを示しています。したがって、気候変動の影響評価は、人間活動のフィルターを通さなければ適切に把握できないことを示唆しました。
一方で、気候変動によって加速化した石油・天然ガスなどのエネルギー資源開発は、当該国家の経済発展には寄与していますが、産出する地域経済・社会発展へは十分還元されていないことがわかりました。また、気候変動が家計や健康に及ぼす影響は大きくはないが無視できない影響となっていることが確認されました。資源産業の発展は、2022年のロシアにおけるウクライナ侵攻によって大きく変化しました。生産量は減少し、ロシア政府の開発計画は変更されましたが、その輸出は中国・インド・トルコによって代替されました。また、西シベリアの輸出は欧州向けのため半減したのに対し、東シベリアの輸出は中国が中心なので増加しています。つまり、地域の要素や国家間関係が資源産業の発展に大きな影響を与えています。これらの成果は、気候変動が資源開発を促すことはあっても、その経済効果は当該国家の対外関係によって、また資源産出地域への影響は対内政策によって規定されていることがはっきりとわかりました。つまり、資源開発は国家とその中の地域を分けて分析しなければ十分な理解ができないことを示唆しました。
本課題では、北極の先住民社会を特に沿岸社会・伝統漁業に焦点を当てて探求しました。その結果、気候変動の影響を受けて拡大している北極商業漁業への影響はあまりないという判断に至りました。ただ、漁業資源需要の拡大はスポーツ漁業や密猟の増加という形で先住民漁業に影響を及ぼしています。一方で、先住民自身が商業漁業に参加していることもわかり、さらに海藻養殖なども始まっていることがわかりました。また、生業変化や商業ベースが増えることにより伝統食から現代産業食への依存も進んでおり、その結果、住民の健康問題が生じていること、生活の現代化によって廃棄物が増加し、そのことは先住民社会内部での解決を困難にし、NGOの参加や政府の援助なしに先住民コミュニティの持続が難しくなっていることをも示しました。これらから、気候変動による先住民社会の影響評価は、気候変動そのものだけではなく、それに由来する社会事象あるいは由来しない社会事象を考慮に入れなければ適切な評価が難しいことを示しました。
まとめ
北極域の人間の安全保障に関連して、これらの成果をまとめるならば、脅威からの自由、欠乏からの自由、尊厳を持って生きる自由を確保するためには、国家・地域経済・先住民社会などさまざまな社会レベルを想定しその相互関係を把握する必要があるということです。またロシア‐ウクライナ戦争は皮肉なことですが、人間の安全保障に決定的な影響を及ぼすのは国家であることを明らかにしてしまいました。この点は、気候変動という要因の位置付けについても同様で、気候変動はその自然科学的な評価に加えて、それを国家がどのように評価し対応するのかについて同じレベルで評価することの必要性を示したといえます。

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