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ArCS IIにおける社会実装の試行に向けた取り組み

*こちらの記事はArCS II News Letter No.10(発行:2025年2月)に掲載されたものです。

「社会実装」の定義は必ずしも一意に定まっていませんが、政府の科学技術イノベーション政策に関わる重要な概念を示す語句です。科学技術振興機構(JST)がいち早く使い始めた言葉といわれており「研究成果の社会還元のうち「具体的な」ものであり、(中略)経済的、社会的・公共的価値を生み出すこと」とされています(金澤, 2018)*。文部科学省が主導する日本の北極研究プロジェクトにおいては、ArCS IIで初めてそれに取り組むことになりました。研究者が主体となって進める本プロジェクトにおいてはなじみがなく、社会実装とは何かをさまざまな場面で議論することから始めました。そのためArCS IIでは、将来的な実利用までの道筋(計画)を作成し、それに向けて研究開発を進めることを社会実装の試行として位置づけ、取り組んできました。今回はこの中から実を結んだ例をいくつかご紹介します。

佐藤 専(海洋研究開発機構)
ArCS II社会実装コーディネーター

*金澤良弘, 2018. 研究成果の社会実装と大学の役割. 日本大学知財ジャーナル

観測

北極域におけるブラックカーボン濃度測定の国際標準化に向けた機器開発

小池 真 (東京大学 大学院理学系研究科)
近藤 豊 (国立極地研究所 北極観測センター)

化石燃料などの燃焼で放出されるブラックカーボン(BC)と呼ばれるエアロゾルは、太陽放射を吸収するため地球温暖化を促進し、特に北極でその効果が大きいとされています。ArCS IIでは、このBCを高い精度で測定可能な分析機器「COSMOS」の開発・改良を進めてきました。この結果、COSMOSはその信頼性の高さから、北極評議会の作業部会の報告書(AMAP-SLCF報告書、2021年出版)において、他の観測手法と比較することでBC観測の標準化を行うことができる標準器としての活用が期待されるまでになりました。

可搬型積分球積雪粒径測定装置HISSGraSの製品化

青木 輝夫 (国立極地研究所 北極観測センター)

雪氷圏における地球温暖化の影響の理解には、雪氷面に入射する日射の反射率(アルベド)が重要です。特に北極圏の雪氷面では、近年雪氷微生物や積雪粒子の大きさの増加に伴うアルベド低下(暗色化)によって氷床や氷河の融解が進んでいる可能性があります。そこで、積雪域のアルベドを支配する積雪粒子の大きさを直接観測可能な「可搬型積分球積雪粒径測定装置(HISSGraS)」を開発し、民間企業での製品化に成功しました。これにより、衛星同期観測など短時間で広域における観測が可能となりました。

気象予報

寒冷渦指標の開発と気象予報解析ツールへの実装

本田 明治 (新潟大学 自然科学系)

豪雨や豪雪などの極端現象が発生する際、北極からの寒気を伴う低気圧である寒冷渦がしばしば対流圏上層に現れます。上空に冷たい空気が入り込み大気の状態が不安定となることから極端現象発生の主要因の1つとして認識はされていましたが、地上天気図による判別は困難でした。ArCS IIでは上空の天気図を用いて寒冷渦を捉える新指標の開発に成功し、同指標に基づき上空寒気を監視するサイト を公開し情報発信を行っています。また、本指標は気象庁の異常気象分析Webに実装されるまでにいたりました。

2024年11月16日の日本周辺の対流圏上層の寒冷渦マップ。青い円が寒冷渦、緑の円が寒冷渦になる前のトラフを表す。

※サイト移行のため、News Letter No.10掲載時からURLが変更しています。

積雪変質モデルの改良版を気象庁による⽇本域積雪予報で現業運用開始

庭野 匡思 (気象庁 気象研究所)

グリーンランドにおける近年の急激な雪氷圏変動メカニズムを解明することを目的として、気象庁領域気象化学モデルNHM-Chemと積雪変質モデルSMAPの開発・改良と結合を進めています。これらをもとに日本域の領域大気-積雪結合システムであるLFM-SMAPを開発し、これが2022年10月より気象庁の現業において運用開始されました。併せて、当該モデルによる積雪深の実況や短時間予測を気象庁HP で(冬期のみ)リアルタイム公開しています。防災・減災のために、本情報が広く一般に活用されることが期待されます。

LFM-SMAPによって計算された2023年3月1日3時(協定世界時)における積雪深分布

海氷

北極海氷予報情報の発信と活用

矢吹 裕伯 (国立極地研究所 国際極域・地球環境研究推進センター)

北極域データアーカイブシステム(ADS)と北極海氷情報室では、民間気象会社のウェザーニューズと連携し、海洋研究開発機構が所有する海洋地球研究船「みらい」が北極海で観測航海を実施する際に観測地点の最終決定や安全航行に資する情報として、同海域の海氷の予測情報を提供しています。併せて、「みらい」から実際の海氷状況のフィードバックを受け、現在も予測精度の向上のための改良を図っています。将来的には、「みらい」以外の船舶への予測情報のサービス提供につながることを期待しています。

(左)船舶に提供された航行支援情報の表示システムWeb画面(ウェザーニューズ提供)
(右)地上支援用として公開される「VENUS for Mirai」Web画面(ADS提供)

舶用レーダーを用いた海氷波浪識別システムの開発への貢献

早稲田 卓爾  (東京大学 大学院新領域創成科学研究科)
松沢 孝俊 (海上・港湾・航空技術研究所 海上技術安全研究所)

北極海の海氷はサイズや形がさまざまで、またお互いにぶつかって割れることで複雑な形状となりますが、それをレーダーにより詳しく識別できれば、研究だけではなく船舶の安全な運航にも貢献が可能となります。海洋研究開発機構を中心とした共同研究チームでは、北極域研究船「みらいII」への搭載を目的として、舶用レーダーで海氷や波浪を高い精度で識別するシステムの構築を進めてきました。ArCS IIにおいて海氷-海洋-波浪相互作用の解明を目指して採取したデータが、システムのアルゴリズム改良などに大きく貢献しています。

2024年度の「みらい」北極航海で取得されたレーダー画像の一例

国際関係

ブリーフィングペーパー・シリーズの発⾏

柴田 明穂 (神戸大学 大学院国際協力研究科)

ArCS IIにおける北極に関する研究成果を広く社会に還元し、関係するステークホルダーが関心を寄せる課題について国際法政策的視点から簡潔・平易に解説する文書であるブリーフィングペーパー・シリーズを発行しています。2024年10月現在で第10号まで発行され、特に北極問題に関する行政担当者へのブリーフィングや定期的な情報提供に活用しています。今後、我が国としての北極政策を策定・改定する際に活用されることを期待しています。

中央北極海無規制公海漁業防⽌協定の科学調査の実施計画作成への貢献

西野 茂人 (海洋研究開発機構 地球環境部門)

海氷の減少により漁獲が行われ得る水域が拡大する中央北極海において、海洋生態系や漁業資源への影響が懸念される規制されていない漁獲を防止する目的で、2021年6月に中央北極海無規制公海漁業防止協定が発効しました。同協定のもと科学調査・監視を行う共同プログラムの実施計画の作成にあたり、Scientific Coordinating Groupの日本代表団のメンバーとして参加するとともに、ArCS IIでの調査結果のインプットやこれらに基づく重要海域(低酸素化・酸性化により海洋生態系が脅かされる海域)の設定に貢献しました。

シベリア沿岸で低酸素化・酸性化した海水の沖への輸送