ArCS 北極域研究推進プロジェクト

2017年度EGRIPフィールド調査特集

減りゆくグリーンランド氷床の謎に迫る
~国際共同掘削プロジェクトEGRIP訪問、南北の違いに驚き次々

白くまぶしく光る氷原に黒い球体がぽつんと立つ。グリーンランドの内陸、見下ろす氷の世界に突如、奇妙な物体が現れた。国際プロジェクト「EGRIP」の氷床掘削サイトだ。日本やデンマーク、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス、ノルウェーなどの研究者や技術者が集まり、氷を掘り、融解や海への流出が加速する氷床の解明に挑んでいる。2017年夏に訪れた。

「南極と似ているようだけれど、違う」。そんな思いが何度もよぎった。

私の極地取材の始まりは南極だった。45次南極観測隊で越冬し、氷床掘削も取材した。冬が明けた2004年10月、ドーム隊9人は5台の雪上車で昭和基地を出発した。ドームふじ基地まで1,000キロ、1カ月走り続けた。たどり着いたのは標高3810メートル、見渡す限り純白の氷原だった。マイナス60度の大気が頰を突き刺す。孤立した内陸基地では毎日2回、皆で雪を集めてとかして水を作った。補給はいっさいない。持っていった食料と燃料だけで生活しなければならず、何一つムダにできない。1,000キロ四方だれもいない、虫1匹すらいない、圧倒的な孤立世界で4カ月を過ごした。そのときの仲間の一人が国立極地研究所の東久美子さんだ。

教授となった東さんは研究フィールドを南極から北極へ転じ、今はグリーンランドの国際氷床掘削プロジェクトの日本チームのリーダーとして活躍する。「EGRIPで今シーズンはメディア取材を受け入れる。申し込んでみない?」と声をかけて頂いた。

グリーンランドはそれまで4回訪れていた。イルリサットでは氷の上に、とけ水が巨大な穴「ムーラン」を作っていた。北西のカナックでは、氷河の上をとけ水が激流となって蛇行する光景を目にした。2012年7月、グリーンランド氷床表面の97%がとける大融解が起きたさなかだ。2015年4月、シオラパルク周辺を犬ぞりで走り、氷河の後退や海氷が薄くなってきたことも実感した。

氷は加速度的に減り続けている。いずれも沿岸部で目の当たりにした変化だったが、今度は初めての内陸だ。「東さんと再び一緒に氷床掘削基地へ行ける」、そんな特別な思いも抱きながら、2017年夏、私は北極へ向かった。

コペンハーゲンからグリーンランド南西のカンガルースアックへ入ると、世界各国からやって来た研究者やドリラーや技術者たちがそろっていた。これまで何度も北極や南極で経験を積んできたベテランもいる。ドリラーの宮原盛厚さんもその一人だ。「極地初心者」もいる。長岡技術科学大学の本間智之さんは金属が専門と聞いて驚いた。材料強度を研究しており、氷との共通点に注目しているという。デンマーク人の医者クリスチャン・バゲさんは「こんな経験なかなかできないと思って希望してきた」と話していた。早い時期にEGRIPを訪問してすでに帰国した日本人研究者もいた。総合研究大学院大学の繁山航さんは先に現地入りして、私たちを待っているという。

日中は気温が17度まで上がる日もあり、Tシャツで過ごせる町で、北極圏へ来た実感がわかない。ミーティングをし、荷造りもすませ、「早く氷の世界に行きたい」とはやる気持ちを静めながら、出発を待った。ところが、「フライトキャンセル!」、理由はなんと「暖かいから」、内陸でも氷が緩んでいるという。米軍輸送機C130は私たち23人のメンバーと荷物を運ぶ。氷の滑走路が不安定になると、危険が増す。出発延期が続いて、3日間も足止めされた。BS朝日の番組で、インターネット回線をつないで現地からの生中継を予定していたのに、半袖姿でカンゲルースアックからの中継になってしまった。

7月23日、やっと出発、飛び立ってわずか3時間ほどでEGRIPへ到着した。標高2,700メートルの内陸なのに、マイナス1度の暖かさに驚く。

黒く大きな球体の周りには大型のテントがぽつぽつ並ぶ。4~8月、入れ替わり滞在するメンバーたちの住まいだ。訪れたときは10カ国出身の31人、うちメディアはドイツのテレビ番組の取材班4人もいた。輸送機は、後部ハッチを開けると、食料や資材の大きな荷物をドスンドスンと氷の上にはき出していく。

食料テントをのぞくと、レタスやトマト、肉やカニもどっさり。輸送機が頻繁に来るので、新鮮な野菜や生卵、肉も魚もさほど不自由なく手に入るのだ。

球体はメインドームで、中は意外に広い。1階は食堂、2階に上がると作業したりパソコンに向かったり、くつろげるスペースがある。VSAT衛星通信でインターネットも使える。はしごで3階に登ると、360度を見渡せるこじんまりした部屋があった。


メニューも豊富でおいしい食事。
新鮮野菜も焼きたてパンも毎日楽しめる

1階の食堂奥にある台所では、半袖半ズボン姿のコック、ゴンザロ・グゥアルウさんが鼻歌まじりにパン生地をこねていた。毎日、サラダや焼きたてパンも食べられるとは、極地でなんというぜいたくだろう!観測船しらせで年1回しか補給がない南極と、つい比べてしまう。

現地リーダーでコペンハーゲン大学のドーテ・ダールイェンセンさんは、「新入り」の私たちに基地生活について説明する。「トイレは屋内と外にあります。シャワーを使ったら、外の造水装置に雪を足しておいてね」

流せる水がある!またも南極を思い出して驚いてしまう。セールロンダーネ山地で隕石探査を取材したときは、1カ月半、風呂もシャワーもない氷上生活だった。内陸のドームふじ基地では、雪で水を作るのに懸命。使えばなくなる、なくなったら作らなければならない、そんな切迫感が常にあり、ケチケチ使わなければならない。北極ではぜいたくに、楽ができてしまう!「極地感」に欠けてしまうほどだ。
 頑丈なメインドームは以前、別な場所で氷床掘削をした時に使っていた。巨大なスキーをはかせて、雪上車で引っ張って、465キロを9日間かけて運んで来たそうだ。氷の掘削や貯蔵、解析の部屋は氷の下にある。氷を掘って空間や通路を作り、中で巨大な風船をぱんぱんにふくらませ、上に雪をのせて凍らせて天井を造ったという。実に効率的で、環境にもいい。

「当番表を貼っておくので見ておいてね」とドーテさん。掃除や皿洗いの当番、水を作る屋外タンクに雪を入れる当番もある。大変なのは調理当番だ。毎日、肉に野菜、サラダにパン、デザートまで品数豊富に料理を準備するコックの手伝いで一日こきつかわれる。料理が美味しいので文句はいえないが!

当番は、研究者も技術者もリーダーも例外なくまわってくる。自分の専門以外に皆で生活するために必要な仕事がある。これは、南極の昭和基地と一緒。とはいえ、様々な国、異なる職種の人がごちゃまぜに極地で生活する基地は珍しい。共同観測はあっても、長期間の基地生活となると、あまり聞いたことがない。

私にも食器洗い当番がまわってきた。食事が終わると、手が空いた人は次々台所に入り、後片付けを手伝う。国や言葉が違っても一緒に暮らす一体感はあっという間に生まれるようで、うれしくなった。

標高2700メートルのEGRIPで、岩盤までの氷の厚さは2500メートルほど。毎日、ドリラーたちが氷を掘り続ける間、氷床コアの解析、雪、大気などの観測も続けられた。


掘り上げたばかりの氷床コアがドリルの先からのぞく

各国は両極で深さ約3,000メートルの氷を掘ってきたが、これも南北で違う。極寒の南極では乾燥して降雪量も少ない。ドームふじ基地なら、降水量換算で年間3センチほど。それだけに少し掘れば古い氷に届く。各国が内陸で氷床掘削に挑み、約80万年前の氷まで達した。

同じく約3,000メートルを掘っても、南極より暖かく雪も多いグリーンランドでは、13万年前ほどしかさかのぼれない。でも、新しい時代を細かく見ることにはすぐれている訳だ。

南極氷床の解析では、約10万年周期で氷期と間氷期が繰り返されたことがみえた。グリーンランドの氷では、過去10万年間にも25回以上の急激な気候変動が読み取れたという。14,700年前には、たった3年間で10度も上昇したらしい。

両極をみることで、過去の地球に起きたことを長い時の流れからとらえ、一方で細かい変動も探れるのだ。

氷は深くなるほど古くなる。氷床掘削では、年代の変化がきれいに読み解ける所、氷が流れず垂直に積み重なってできた所を狙うのが常だと思っていた。ところがEGRIPは氷が流れ出している所で、海岸へ向かって1年間で60メートルほど動いている。氷流の源流部を狙ったという。氷をまっすぐ掘り続けられるのか?途中でドリルがひっかかってしまわないか不安になる。

温暖化の影響が著しいグリーンランド。氷の中では、どんな風に力が働いて、海へ押し流されているのか?今夏、掘削を再開したら、掘削孔が曲がっていないか?いや上から底部までそろって流れている?減少が加速する氷にいったい何が起きているのだろう。その謎に興味は尽きない。およそ900メートルまで掘削して昨季は終えたが、今夏はどこまで掘れるか、そしてどんな成果が得られるのか、とても楽しみだ。(2018年3月)

世界各国から集まった研究者や技術者たち=2017年7月28日、グリーンランド内陸・EGRIPメインドーム前

中山 由美(なかやま ゆみ)プロフィール

朝日新聞社会部記者。南極へ2回、北極へ6回、パタゴニアやヒマラヤの氷河も取材し、地球環境を探る“極地記者”。北極・グリーンランド訪問は4回。2008年に米国チーム、2012年と2014年は日本の研究者による氷河や海氷の観測、2015年はエスキモーの犬ぞり猟に同行した。2016年にはノルウェー北部のスヴァールバル諸島など取材。