ArCS 北極域研究推進プロジェクト

ArCS通信

平成28年度若手研究者海外派遣・中間報告:オールボー大学北極研究グループ(AAU-CIRCLA/AAU Arctic)に滞在して

私は、2017年3月20日~2018年2月1日の予定で、ArCS若手研究者派遣事業の支援を受けて、デンマーク王国・オールボー大学北極研究グループ(AAU-CIRCLA: Centre for Innovation and Research in Culture and Living in the Arctic ※英語ページ)に滞在しています(写真1、2、3)。

AAU-CIRCLAは、デンマーク国内のみならず、世界の北極研究・グリーンランド研究の拠点形成を目指し、オールボー大学文化・グローバルスタディーズ学部の研究者を中心に設置された研究グループです。北極研究に係わる少なからぬ研究所が自然科学ベースであるのに対して、AAU-CIRCLAは、軍事・安全保障案件(ハイ・ポリティクス)を含む人文・社会科学領域を主たる研究対象としている点に、一つの特徴があります。また、Politics of Postcoloniality and Sustainability in the Arctic (POSUSA)プロジェクトをはじめ、人文・社会科学分野の研究プロジェクトが単独で立ち、共同研究が遂行されている(つまり、自然科学との連携・協働が求められているわけではない)ことも、むしろ研究の自由な広がりを示す事例として特筆されます(参考URL ※英語ページ)。

AAU-CIRCLAには、私のホスト教員であるLill Rastad Bjørstに加えて、Ulrik Pram GadやRobert Christian Thomsenなど、世界の人文・社会科学系北極研究を牽引する研究者が所属しており、月1回ペースで開催されるセミナー(私は5月に報告し、来る11月にも報告予定)や、コペンハーゲン大学との共催で展開される北極政治研究セミナー・シリーズ(Arctic Politics Research Seminars)などを通して、情報共有が図られる環境が整備されています(12月に報告予定)(参考URL ※英語ページ)。次世代の研究者の育成にも積極的で、極北の人類史からグローバル化する北極の動態分析に至るまで、体系的に北極を理解しアウトプットしていくための大学院プログラム(※英語ページ)も充実しています。

自然科学者を含む隣接諸科学との協働の場は、「AAU Arctic(※英語ページ)」という研究協力プラットフォームが担っており、年次大会などを通して意見交換が行われています。2016年の年明けに北極・グリーンランド研究の世界的拠点として名高いコペンハーゲン大学エスキモー学研究所の学生募集停止及びスタッフのリストラが話題を呼びましたが、北極海沿岸5カ国を構成する国家=A5(Arctic 5)にカテゴライズされるデンマークとはいえ、安泰とは言えない北極・グリーンランド研究の環境にあって、AAU-CIRCLA及びAAU Arcticでは、ドラスティックに変化する北極を多角的に分析していくための環境を整備する努力が続けられています。

この中で私は、「デンマーク国家北極政策史研究」をテーマに研究に従事しています。研究の目的は、2008年の報告書『転換期の北極(Arktis i en brydningstid)』を基に2011年に発表された『デンマーク王国北極戦略2011-2020(Kongeriget Danmarks Strategi for Arktis 2011-2020)』の論理と背景を実証的に明らかにすることですが、後述するように、こうした帰納的方法によって北極政治全体のパワーバランスの一端を可視化させることにも向けられています。

なぜデンマーク国家・・か。それは、デンマーク本国・・が北極海と地理的に近接していない点で、北緯45度以北に位置する主体としての権益のみを享受するものの、北極海と地理的に近接する自治領グリーンランドを介することで、北極海と法的に近接する主体としての海洋権益をも享受する唯一の存在だからです。私は、このデンマーク国家の立場・・・・・・・・・・を、「地理的非近接主体(スウェーデン、フィンランド、デンマーク本国など)と地理的近接主体(ロシア、カナダ、ノルウェー、グリーンランドなど)のあいだ・・・」=「地理的中立・・(geographical neutrality)」という分析概念を用いて説明したことがありますが、まさにこうした地理的近接性と法的近接性の狭間で、北極に対する自身の国家戦略を策定していかなければならない(していくことができる)国家が、デンマークだということです。逆に言えば、地理的中立という立ち位置を意識化し、下位国家主体=グリーンランドとの良好な関係を維持させていくためのハンドリングが、デンマーク本国には求められているとも言えます。デンマーク本国は、しばしば北極国(Arctic nation)としてのアイデンティティを「忘れがち」と指摘されます。これは、グリーンランドとの協働が内在化され、北極国であることが当然視されている結果であると解すことができる一方で、デンマーク本国の「空間的身体」として、北極が方位を見定めにくい対象であり続けているからだと理解することもできるのです。

地理的近接性というデンマーク国家が有する立場性は、北極政治の胎動に伴う主権や管轄権に関する国家間の見解の相違、脅威に対する認識や、地域(海域)秩序をどのように理解するかという点において、どのような意味を持つでしょうか。

例えば、近年の北極海域(特に北大西洋海域)では、ロシアによる潜水艦の派遣・配備、海軍基地の設置やその設備更新など、軍事活動の活性化が顕著に見られています。また、これに呼応するかのように、対ロシアを目的とした米国の安全保障予算の再編・増加が確認されています。これは、ヨーロッパの安全を再保障するための予算(European Reassurance Initiative)の編成・増加を意味しており、いわゆる米国と欧州の協調関係=大西洋同盟の結束を強めた形となりました。もちろん、このようなロシアと米国の動きが直ちに軍事衝突に結び付くことはないでしょう。しかし、軍事化への懸念により、双方が軍備・防衛機能の強化に走る「安全保障のジレンマ」が、今日の北極海域で見られていることは否定できません。こうした中で、デンマーク国家の持つ「一歩引いた」立場=地理的中立を内在させた立場、いわば「沿岸国だけれども沿岸国ではない」立場は、当事者性を弱めてしまう代わりに中立性を前面に押し出すことができ、利害対立を調整する潜在的可能性を高めるなど、各国の対話をファシリテートする力を持つことができるかもしれません。それは、対話と協力による実効的な政策パッケージの創出を模索しながら、権益確保が目指される今日の北極を安定化させる一助になるかもしれません。私の関心は、こうしたデンマーク国家が有するパワーの質を学術的に整理し、アウトプットしていくことにあります。残りの時間も、北極政治の動態を帰納的に把握する努力を続けていきたいと思っています。

高橋美野梨(北海道大学・テーマ7実施担当者)


オールボー大学外観


大学宿舎周辺


研究室の様子