2018年7月8日に日本を出発し、翌日ケベックシティーに到着。ラバル大学で、調査に向けての最終打ち合わせと調査物資の最終確認と積み込みをしました。今年のメンバーは、私の他に、ラバル大学准教授のAlex、フィールド技術員のDenis、ポスドクのCatherine、ケベック大学Chicoutimi校大学院生のEliseの合計5名。Alexはサンフランシスコ出身のアメリカ人ですが、他の3名はみなフレンチカナディアンです。
今回の調査地は北緯83度にあるワードハント島で、調査に訪れるのは2年ぶり2回目。2018年7月10日朝にケベックシティーを車で出発しオタワへ向かい、First Airによる一般のコマーシャルフライトでオタワ→イカルイット→ホールビーチ→ポンドインレット→アークティックベイ→レゾリュートベイ、その後PCSP(Polar Continent Shelf Project)によるチャーターフライトでレゾリュートベイ→ユーレカ→ワードハントというなかなか気の遠くなるフライトスケジュールです。
悪天候で5日間レゾリュートで待機した後にやっとワードハントへ到着。今回の私の最大の目的は、2年前の夏にワードハント島にあるワードハント湖の水中に設置した係留系を回収しデータを取得することです。ワードハント湖は地球最北端にある湖で、2007年頃までは過去50年以上にわたって夏になっても氷厚4 mもあったのが、急に薄くなり始めて湖岸帯の氷が夏に解けるようになりました。そして2011年、ついに夏に湖氷が完全に消失するという事件が起きました。それ以来、冬でも氷厚は2 mほどにしか発達せず、夏には必ず湖岸帯の氷が解けるようになりました。また、ワードハント島の周辺にはエルズミア島北部からつながる大きな氷棚が存在していましたが、同じく6〜7年前に大規模な崩壊が起きて流れてしまったらしいです。そんなわけで、ワードハント島とエルズミア島北部は急激な環境変化にさらされています。通常、水中の環境は陸上よりもドラスティックに変化し、より影響を受けやすいと言われており、実際に環境がどれくらい変化しているのか、それによって水中に棲息する生き物たちはどんな影響を受けているのか、を知る必要があります。2年前にワードハント湖に仕掛けた係留系は、水温ロガー・光ロガー・クロロフィルロガー・溶存酸素ロガーが様々な水深に取り付けられたものになっています。これによって、年間を通した「水の動態、水中の植物プランクトン量、水中に入社する光エネルギー、生物活動と水の動態による水中酸素濃度」の変化を知ることができます。偶然にも、係留系を設置したすぐあとの2016年晩夏から初秋にかけて、湖氷が完全に消失したことが定点カメラによって明らかになったため、この2年分のデータは極めて重要な記録となるはずです。
というわけで、兎にも角にもワードハント湖に眠っている係留系を回収しなければいけないのですが、意外とこれが口で言うほど簡単ではありません。これまで様々な湖で係留系の設置と回収をしたことがありますが、ワードハント湖のようなタイプが一番難しいです。
- 一年中氷の張らない水面が見えている湖ならば、水面にフロートが見えるように設置すれば誰でも回収できる。
- 南極の内陸のような一年中湖面がガチガチに凍った湖ならば、氷の直下にフロートを設置して、そのフロートから長さに余裕をもたせたワイヤーかロープを氷の上に伸ばして設置すれば、さほど苦労なく回収できる。
- 南極の大陸沿岸や南極半島のような季節的に結氷するような湖ならば、最大氷厚の水深以下にフロートが来るように設置して、夏の氷が消失した時期にGPSと引っ掛け用具をつけたロープで探索すれば、少し苦労するものの短時間で回収できる。
ところが、ワードハント湖のような、季節的に結氷し、夏には湖岸しか氷が解けない湖は、氷が風によって動くのでやっかいなのです。設置したGPSポイントまで行って氷に穴を開けてみても、いざ開け終わった頃には場所が変化しています。しかも穴のサイズは直径約25 cm。少しでもずれたら回収することはできません。とはいえ、まずはGPS表示を見て、祈りを捧げながら設置ポイントに穴をあけるほかありません。もちろん一発で発見することはできず、次の穴をあけることになるのですが、闇雲に開けるというのはあまり賢いやり方ではありません。そこで、今回の秘密アイテムとして持ち込んだGoProと長い棒とスマホが大活躍することになりました。棒にGoProを取り付け、穴から水中に投入し、360度ぐるりとカメラを回します。それをすぐさまスマホにBluetoothでつないで映像を確認。するとぼんやりながらある方角に係留系のフロートが写り込んでいました。画角から距離を推測して、写っていた方角の少し離れた地点にまたドリルで穴をあけます。GoProで撮影・映像確認→ドリルで穴あけ→撮影・確認→穴あけを6度繰り返し、ついに穴の下に黄色いフロートが姿を現しました。ドリルで厚さ2 m近い氷に穴をあけるだけでもなかなかの苦労ですが、その分、2年越しに見つけて回収した時の喜びはひとしおでした。キャンプ地に回収した係留系を持ち帰り、データをダウンロードし、無事に2年分のデータの取得に成功しました。
ところで、この係留系回収時にスマホがなければ、いちいち棒からGoProを取り外し、水中ハウジングからGoProを取り出し、microSDカードを取り出し、重い思いをして調査ポイントまで担いで持ってくるであろうパソコンにカードを読み込ませて画像を確認して、またカードをGoProに取り付けて水中ハウジングにセットし、棒に取り付けて再度角度調整をするという、面倒なプロセスになります。今回の調査で初めて持ち込んだ新型の多項目水質計も、データ転送のための専用のスマホアプリがあり、これによって、計測後にすぐに水質データの鉛直プロファイルがスマホに表示できたために、その場でデータが取得できていることを確認することができ、その上、その場ですぐにどの水深からサンプルを採取するかをみんなでディスカッションして決めることができました。もちろん随分前から、現場のサンプルや状況記録のためにスマホのカメラやビデオや地図アプリは大活躍しており、今ではそれ以上に野外調査を効率的に進めるために、もはやスマホはフィールドでは欠かせないアイテムの一つとなっているとつくづく感じています。
無事に係留系を回収できたのは研究の第一歩ではありますが、たった2年間のデータでは環境変化を知るには短すぎるので、今回、係留系のロガーをリニューアルして再設置してきました。今後もカナダとの共同研究体制で、しばらくは長期的な湖沼環境モニタリングをしていくことになります。今回の調査では、前回も見たホッキョクウサギ、レミング、ホッキョクギツネだけでなく、ホッキョクオオカミとシロフクロウにも出会うことができ、2年越しの係留系の回収も含めてとても充実した調査になりました。とはいえ、少しだけ大変だったことが一つあります。それはチームの会話の約7割がフランス語だったことです。フランス語での会話の最中に急にちょっとの英語が混じり、フランス語がさっぱりの私は、そのわずかな英語の部分から他の部分を想像・妄想して全体の流れを補完したのですが、合っていることは稀で、合っていないと分かることも稀で、なんのことか分からないまま終わるのがほとんどでした。
ついにあと1年とちょっとでArCSも終わりです。最終年度に向かい、とにかくあとは採取した試料の測定・分析とデータの解析をして、研究をまとめていくのみです。
田邊 優貴子(国立極地研究所/テーマ6実施担当者)