11月16日 読売新聞 夕刊
中・高校生で作るページ
『南極で活躍 越冬女性2隊員』
『通信衛星利用し取材』
第40次の南極観測隊員を乗せた観測船「しらせ」が14日、東京港を出航しましたが、現在、南極大陸で観測・研究している第39次越冬隊には、坂野井和代さん(27)と東野陽子さん(28)の二人の女性隊員が活躍しています。1956年に始まった日本の南極観測史上、越冬して観測を続けるのは女性では二人が初めてです。南極に行くことになったきっかけや南極での研究内容、生活の様子を、昭和基地へ通信衛星を利用してインタビューしました。(中2・石野麻衣子、高1・中村安希、高2・柏崎冬鷹、高2・浅野玲子記者)
「衛星受信棟の屋上のアクリルドームで高速
オーロラ・フォトメーターを点検する坂野井さん」
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「夢実現」「男性との差感じず」
地球の陸地の約1割、厚さ2千メートルにも達する氷に覆われた南極大陸。現在、昭和基地で越冬しながら観測している人は坂野井さん、東野さんを含め39人。昨年12月下旬、昭和基地に着いた後、来年3月まで観測を続けます。
坂野井さんは東北大学大学院理学研究科で地球物理学を専攻し、南極ではオーロラの研究をしています。中学生のころ、越冬隊員だった人の書いた本を読んで興味を持ち、さらに神奈川県立横浜翠嵐高1年の時、女性が初めて観測隊員(夏隊員)に参加という新聞記事を見て、南極行きを強く志望するようになり、多くの隊員を送り出している東北大理学部に進みました。
同大理学部付属地磁気観測所に勤務する夫の健さん(30)も第37次越冬隊員で、二人の話題はもっぱら南極だったといいます。
南極で初めてオーロラを見た時のことを、「スケールがけた違いに大きく、動きが速くて本当に美しかった」と語ってくれました。オーロラは、太陽から吹き出す太陽風と呼ばれる粒子が、大気に衝突して起こる現象。昭和基地はそのオーロラ帯の真下にあり、観測には最適地です。夜、その動きや明るさなどを観測しますが、今、南極は、夜でも暗くならない白夜の季節に入りました。しかし、電波や磁場、人工衛星で観測を続けるそうです。

「地震計のセンサーモニターで、世界のどこかで大きな
地震が起きていないかどうかを確認する東野さん」 |
一方、東野さんは、京都大学大学院理学研究科で地球惑星科学を専攻、南極では地震観測をしています。子どものころ、理科図鑑で地球の断面図を見て、「なぜこんなことがわかるのだろう」と地殻に興味を持ち始めました。広島大理学部に進学、主に地殻の構造や地球の歴史について学び、同大大学院、京都大学大学院へと進みました。
南極行きは、「南極の観測データを見ていて、研究手段として観測する価値があると感じたため」だそうです。
その南極の11か月の感想を「寒い。冬は夜だけ、夏は昼だけで、日本より季節の違いを感じました」。白夜の季節になって、取材したさる1日の気温は氷点下4度。
「久しぶりにペンギンが戻って来ました」。
★基地でピアノ
ところで、南極はプレートが安定していて大地震は起こらないと考えられていましたが、今年3月25日にマグニチュード7.9という巨大地震がありました。基地には被害はありませんでしたが、観測していた東野さんも「こんなことがあっていいのだろうか」と驚いたそうです。
南極では仕事ばかりしているわけではありません。休日には電子ピアノを弾いたり、ビデオ鑑賞をしたりして過ごし、隊員で遠足に行ったり、ソフトボールやサッカーに汗を流すこともあります。また、食事は調理専門の隊員が担当していますが、隊員出身地の郷土料理が出たり、毎月の誕生会にはフランス料理とか中華料理のごちそうが出ます。ただ、持っていった生野菜はすでになく、二人とも「みずみずしいトマトが食べたい」と言っていました。
初の女性越冬隊員でしたが二人とも、「居住棟は個室で、毎日おふろに入れるし、日本の家族とはメールで交信できるので、普通に生活していくうえでは特に不自由は感じません」。
東野さんは「力仕事では役に立たず、悪いな、と思いますが、女性としてふだん特に区別は感じません。南極に来て、外国の観測隊員と交流も出来たし、観測の難しさもわかり、貴重な体験になっています」と話してくれました。
そして、坂野井さんは、私たちに、「やりたいと思ったことをあまり難しく考えずに自分で思ったようにやってみるといいと思いますよ。私もまだまだ世界で行ったことのない所がたくさんあるので、そこへ行って感動したいですね」とメッセージをもらいました。
(読売新聞社の転載承認済み)
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