ArCS 北極域研究推進プロジェクト

ArCS通信

平成28年度若手研究者海外派遣報告:オールボー大学での10か月

デンマーク第4の都市であるオールボー(写真1)は、デンマークのなかで最も多くのグリーンランド人が住む街として知られています(グリーンランド全国紙Sermitsiaqの2018年3月7日付電子版記事:Rekordmange grønlændere bor i Danmark)(写真2)。グリーンランドとの物流の要となる港(グリーンランド・ハウン)の存在や、世界最大の水産物供給会社の一つロイヤル・グリーンランドのヘッドクォーターが置かれるなど、産業面でもグリーンランドとの係わりが強い街です。そんなデンマークでありながらグリーンランドを沢山感じられる地で私は、ArCS若手派遣の支援を受けて、2017年3月20日から2018年1月31日までの約10か月間、在外研究を遂行する機会に恵まれました。

中間報告の中でも述べたように、若手派遣支援期間中の私の研究は、デンマーク国家初の『デンマーク王国北極戦略2011-2020(Kongeriget Danmarks Strategi for Arktis 2011-2020)』(以下:『戦略』)の論理と背景を実証的に明らかにすることにありました。具体的には、『戦略』を展開していく場として最も有力視され、将来的な北極協力のハブ/協調プラットフォームとしての利用価値が最も高いと評価された在グリーンランド米軍基地(チューレ空軍基地)に焦点をあてて、その運用の戦後史を明らかにすることを目指しました(後述のように、2018年中に拙編著を刊行予定)。 

『戦略』には、主要政策目標が2つ掲げられています。一つは、グリーンランドの発言権=自治権を尊重し、それを拡張させていくこと。もう一つは、北極の主要プレーヤーとしてデンマーク国家の地位を確実なものにすることです。目を向けたいのは、両者を結び付ける場として設定されたのが、第二次世界大戦期に端緒を開き、今日ではミサイル防衛拠点として機能する北極域最大規模の米空軍基地=チューレ空軍基地だったことです。チューレは、軍事的利用のみならず、より広範な用途に使用されることが期待されており、またそのポテンシャルも十分にあることが認識されています。ポテンシャルというのは、北西部グリーンランドの厳しい自然環境に対応した港、タンク・貯蔵施設、工場、病院、宿泊施設など、既にチューレに存在するインフラの援用可能性を意味しています。近年のグリーンランド氷床の融解などに伴う環境変化によって、資源採掘やシーレーンの商業的利用可能性の高まりの中で、グリーンランドを含む北極域での活動は必然的に増加するものと解されており、チューレは、諸施設・部隊のハブとして機能することが期待されていると同時に、『戦略』の核をなす存在としても位置付けられたということです。逆に言うと、北極海と地理的に近接していないデンマーク本国は、地理的に近接する自治領グリーンランドの持つ機能を持ってしか北極へのアクセスを法的に確保できず、こうした地理的近接性と法的近接性の狭間=地理的中立(geographical neutrality)の立場から、北極に対する自身の国家戦略を策定していかなければならないといえるわけです。つまり、デンマークは、デンマーク国家としてでしか、北極へのアクセス権を持たないということです。それを成り立たせる上で意味を持つ(持たせようとした)のがチューレであることから、派遣支援期間中は、主にチューレの運用をめぐる戦後史に焦点をあてつつ、『戦略』の論理と背景を実証的に明らかにしていくことを目指しました。 

第一に、米軍基地の配置が試みられ、実際に運用・展開されていくこととなる第二次世界大戦から冷戦期における在グリーンランド米軍諸施設に関するデンマーク、グリーンランド、米国それぞれの文献資料/史料の収集及び整理を行い、その歴史と争点を検討しました。また、デンマーク国際問題研究所(DIIS)やグリーンランド自治政府などでの研究者、外務省、グリーンランド自治政府外務局などでの政策決定者、さらにはチューレ空軍基地が置かれるグリーンランド・カナック地方の現地住民などへのインタビューを加味することで、本派遣中の研究の輪郭を同定しました。その結果、戦後デンマーク国家の北極へのアクセスは、在グリーンランド米軍基地=チューレ空軍基地を中心に展開されてきた、少なくともチューレは極めて重要な外交の場として機能していたことを明らかにしました。 

第二に、デンマークおよびグリーンランドでのフィールドワークを継続し、実証データの積み上げを図ることに加えて、米国議会を含め域外主体の動向を加味し、チューレの運用をめぐる政治力学を明らかにすべく取り組みました。また、近年のチューレは、北極海の海氷融解とそれに伴う利権問題の影響で、戦闘機や即応部隊を含む「北極部隊」の本営としても位置付けられていることから、そこにグリーンランド(下位国家主体)がどのように関与していけるかについても調査・分析を行いました。つまり、主たる分析対象であるデンマーク国家のみならず、基地設置国である米国がどのような戦略的関心を有し、グリーンランド、延いては北極安全保障を見据えていたのか、地域大国ロシアはこうした動きにどのような反応を示していたのかについても、マルチアーカイブによる多角的アプローチから明らかにすることを目指しました。同時に、米国の海外基地政治と接受国政体とのインタラクションの参照軸として、沖縄とフィリピンの事例を本研究に組み込むことで、ローカルの声=自己の行動を律する意思(自律)と、それを具体的に行動に表す(自己統治)存在としての声が、米国の海外基地をめぐる政治的諸相=国家安全保障のレベルで、どのように発現し、機能したのかを明らかにしました。別の言い方をすれば、ここでは、接受国(地域)域内の政策決定過程や本国の国内政治力学と同時に、設置国である米国、潜水艦の派遣・配備、海軍基地の設置やその設備更新など、軍事活動を活発化させるロシアの基地・北極域戦略をも説明変数として組み込みました。それは、チューレの存立は、グリーンランド域内の政策決定過程だけを見れば説明され得るものではなく、デンマーク国内の政治力学と同時に、基地をめぐる国際政治動向に多分に影響を受けるものだからです。 

第三に、デンマークでの政策決定者へのフォローアップ調査を行いつつ、上記2つの作業で得た知見に基づき、チューレが有する価値と、期待される効果を導出しました。『戦略』では、国際協力のハブ・プラットフォームとして機能することが期待されているチューレでもあるため、その実現可能性についても検討対象としました。つまり、チューレの存立目的の多様化について、デンマーク国家と米国双方向から明らかにしました。そもそも、北極域は科学研究のための空間として長らく位置付けられており、多くの地質調査や海洋調査が執り行われていました。また、チューレの運用をめぐっては、冷戦後の基地の「特殊性」の可変化(基地の役割を軍事目的に限定させることへのインセンティブの低下)という文脈の中で、少なからぬ関心が向けられており、近年ではこうした流れが前面に出てきていると見ることができます。

なお、私自身の研究は、若手派遣の支援を受けて実施されたものですが、他の財源やプロジェクトと組み合わせることで、5名の共同研究者との協働が実現し、当初の想定を超える成果につながりつつあることを付言しておきます。この主たる成果は、下記の拙編著にまとめ、2018年中に出版される予定です。 

TAKAHASHI, Minori (ed.) (Forthcoming). The Influence of Sub-State Actors on National Security. Springer.

  • Introduction: The Influence of Sub-State Actors on National Security (Minori Takahashi)
  • Chapter 1: Base Politics and the Hold-up Problem (Shinji Kawana)
  • Chapter 2: Greenland’s Quest for Autonomy and the Political Dynamics Surrounding the Thule Air Base (Minori Takahashi)
  • Chapter 3: How Have the U.S. Interests in Greenland Changed? Reconstructing the Perceived Value of Thule Air Base after the Cold War (Kousuke Saitou)
  • Chapter 4: Russia's Military Build-up in the Arctic: Russia's Perception of Threat and its Military Strategy in the Arctic Region(Yuu Koizumi)
  • Chapter 5: Okinawa’s Search for Autonomy and Tokyo’s Commitment to the Japan-US Alliance (Shino Hateruma)
  • Chapter 6: The Political Dynamics and Impacts Surrounding Subic Naval Base in the Philippines (Ayae Shimizu)
  • Conclusion (Minori Takahashi) 

若手派遣支援期間中の研究内容およびその間に実施した研究活動(※英語ページ)については、滞在先のオールボー大学北極研究グループ(写真3)によって、記事としてまとめて頂きました。 

2017年12月8日にオールボー大学コペンハーゲン・キャンパスで実施した北極政治研究セミナー(Arctic Politics Research Seminar 2017)は、本派遣で実施した研究成果のアウトプットの一つとして挙げることができます。

さらに、若手派遣プログラムの活動内容に明記されている「自身が派遣先で獲得した知見と人脈を活用する」、「知識の定着とネットワークの維持・強化を図る」をふまえて、滞在先のオールボー大学北極域研究プラットフォーム(AAU Arctic)と、北海道大学北極域研究センター(ARC-HU)との間で部局間交流協定(MoU)(※英語ページ)を締結することができたことも、今後の協働に向けた礎を築くことができました(写真5)(写真6)。

これまでも留学や研究滞在をした経験はありますが、日本の北極域研究のフラッグシッププロジェクトからの支援を受けて現地に滞在できたことは、カウンターパートに対して自分の「出自」を明確にできた点で、現地での研究をやりやすいものにしてくれました。また、渡航前のオリエンテーションや、渡航後のフォローアップ及び成果発表会はもちろんですが、派遣期間中、毎月一回の提出が課せられる「進捗報告書」の作成も、プレッシャーではありましたが、自分の現在地を見失わず研究を確実に進めていくという点で、意義深いものでした。こうした大変貴重な機会を頂き、研究に専念できたことは、何ものにも代え難い経験でした。言葉にできないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。研究のアイデアの芽と向き合う時間を確保できたことと同時に、多くの優れた人文・社会科学系北極・グリーンランド研究者が所属するオールボー大学とのネットワークを構築できた点でも、素晴らしい10か月でした。

高橋美野梨(北海道大学・テーマ7実施担当者)


写真1:オールボーのメインストリート


写真2:グリーンランド語によるクリスマス礼拝。18世紀にグリーンランドに渡った宣教師の名前を冠したハンス・イーエデ教会(Hans Egedes Kirke)にて


写真3:オールボー大学北極研究グループ


写真4:Arctic Politics Research Seminarにて


写真5:MoU締結①


写真6:MoU締結②