2025年6月19日
大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 国立極地研究所
国立極地研究所の猪上淳教授・佐藤和敏助教らの研究グループは、南極観測船「しらせ」による南大洋航海での気象観測データから、南大洋上で卓越する雲は厚さ数百mの薄い鉛直構造であるにもかかわらず、日射をよく反射する水雲(みずぐも)であることを明らかにしました。
-25℃以下でも過冷却雲粒として存在するこの雲は、海面や雪氷面の熱収支を大きく左右する一方で、気候モデルでは再現が困難であることが知られます。その発生環境を示した本成果は、将来気候予測を精緻化する上で重要な知見です。
図1:本成果の概要
気候モデルで地球温暖化の将来予測を行う場合、その前提として現在の気候状態を正確に再現できることが、予測計算の信頼性を担保する上で極めて重要です。ところが、世界の多くの気候モデルにおいて南大洋の海面水温は、実際の水温よりも数℃高く計算される傾向があり、これが大気循環や海洋循環の再現性に影響を与えると指摘されています。この理由として、気候モデルが、日射を効率よく反射する液相(水滴)の水雲よりも、雲粒が比較的少ない氷晶で構成される氷雲(こおりぐも)を多く計算してしまうことで、海面(地表面)に日射が到達しやすくなって表面が過剰に加熱されるためであると言われています。これまで衛星データによる上空からの雲の特徴に関して調査が行われてきましたが、地表面からの観測機会は極めて限られ、特にその鉛直構造や何℃まで雲粒が液相として存在できるかについての知見は乏しい状態でした。そこで本研究では、南大洋上で出現する雲について、4カ月間にわたる船上観測から雲底における雲の相状態と温度を調査しました。
第64次南極地域観測の一環として、南極観測船「しらせ」による2022年12月から2023年3月までの4カ月間の航海(図2a)において、雲底高度、雲底の相状態、気温の鉛直分布を連続的に観測しました。雲底高度と相状態の把握には、偏光解消計測機能付きライダーシーロメーター(Vaisala社, CL61)を使用しました(図2b、文献1、注1)。一方、気温の鉛直分布の計測には、マイクロ波放射計(Radiometer Physics GmbH社, HATPRO-G4)を用いました(図2c、注2)。これらの測器を組み合わせ、雲底温度を抽出し、その時の雲の相状態と照合しました。その他、船上では放射観測を含む基本気象観測、雲の状態を記録するための雲カメラを設置しました。
まず、雲底が観測された期間のデータに対して、雲底が水雲として計測された割合と雲底温度の関係を調べました(図3赤線)。水雲は-25℃でも95%以上の割合で過冷却雲粒として観測され、夏季北半球(図3茶線)の存在比率(70%)よりも著しく高いことが明らかとなりました。これは、日射を強く反射する水雲が特に南大洋上で卓越し、氷雲を形成するエアロゾル(氷晶核粒子)が南大洋上で極めて少ないことを示唆します。この水雲は、気候モデルでは十分に再現されず、その影響を受けて氷雲の割合が高いことも確かめられました(図3緑線、水色線、橙線)。
そこで、雲底温度が-25℃程度の雲が持続的に出現した2022年12月25日について、ライダーシーロメーターのデータと昭和基地のラジオゾンデデータを用いて、その実態をさらに詳しく調べました(図4a)。その結果、上空3〜4km付近の雲底は水雲で構成されていること(図4a)、その高度の気温は-25℃を下回ること(図4b)、厚さが200m程度の極めて薄い構造であること(図4c)、そして風向が雲底下と雲頂部で逆転していること(図4b)、などがわかりました。この雲の実態は波状構造を伴う対流圏中層の高積雲で(図5b)、このような雲は航海中に頻繁に観測されました(図5)。観測期間中の雲底高度の頻度分布(図6)では、上空3〜4kmに出現する中層雲の頻度は気候モデルによる大気再解析データの頻度の2倍以上で、低気圧等の降水イベント以外の平常時の雲として特に放射という点で重要な意味を持つことが示唆されます。
雲の相状態や雲底高度は、地表面の放射フラックスに大きく影響します。航海中に観測した下向き長波放射フラックス(図7a:大気や雲からの放射)は大気再解析データでは曇天時の最大頻度などを過小評価するとともに、下向き短波放射フラックス(図7b:全天日射量)は1%程度過大評価していました(正味の放射フラックスとしては、気候モデルは過剰に地表面を加熱)。この主要因としては、低温環境下では水雲よりも氷雲を高頻度に形成する傾向があるためと考えられます(図3緑線)。
本研究は、「しらせ」を用いた4カ月間にわたる船舶観測から、これまで観測例の限られていた夏季南大洋上の雲を調査しました。その結果、水雲が対流圏中層の低温環境で高頻度に卓越すること、波状構造を伴う高積雲であること、幾何学的に数百mと薄い鉛直構造であるにもかかわらず光学的には厚いため日射を強く反射することがわかりました。このような雲が当該領域で出現しやすい要因を解明するには、雲形成に重要なエアロゾルの組成やその起源を追究し、北半球との違いや季節変化を明らかにする必要があります。また、気候モデルの鉛直分解能の制約がある状況において、対流圏中層の薄い雲をどのように扱うかという技術開発も欠かせません。
南極氷床の融解は海面上昇にも影響することが知られていますが、氷床の涵養過程では降雪や表面放射収支が重要です。雲を介した極域の熱・水循環過程は克服するべき課題が山積していますが、気候モデルの継続的な開発に資する観測事実の蓄積によって、全球の気候予測がさらに高精度化することが期待されます。
掲載誌: Scientific Reports
タイトル: Shipboard observational evidence of supercooled liquid water clouds in the mid-troposphere over the Southern Ocean
著者:
猪上 淳(国立極地研究所 北極観測センター 教授)
佐藤 和敏(国立極地研究所 国際極域・地球環境研究推進センター 助教)
清水 慎吾(防災科学技術研究所 極端気象災害研究領域 水・土砂防災研究部門 主任研究員)
URL:https://www.nature.com/articles/s41598-025-03119-z
DOI:https://doi.org/10.1038/s41598-025-03119-z
論文公開日:2025年5月28日
本研究は、南極観測地域観測第X期計画重点研究観測(AJ1005, AJ1003)、JSPS科研費(JP23H00523, JP24H02341)、国立極地研究所(KC401, KP402)の助成を受けて実施されました。マイクロ波放射計(防災科学技術研究所所有)の観測に関しては、国立極地研究所と防災科学技術研究所との共同契約研究の下により行われました。
注1:このシーロメーターは、照射したレーザー光が対象物に反射した時の情報から、その対象物の形状(球形か非球形か)に関するデータを得ることができ、今回は雲が存在する時のデータについて、雲粒か氷晶かの判別を行いました(文献2)。
注2:このマイクロ波放射計による気温観測には一定の誤差を伴いますが、昭和基地で実施されたラジオゾンデ観測を検証データとした補正を行いました。
文献1:Testing Out a New Ceilometer that Can Distinguish Between Ice and Liquid Clouds(国立極地研究所 海外プレスリリース2022/11/17)
文献2:Enhancing the Safety and Efficacy of Drone Flights in Polar Regions(国立極地研究所 海外プレスリリース 2023/10/18)
図2:(a)「しらせ」の航路図、(b)ライダーシーロメーター、(c)マイクロ波放射計。
図3:観測された雲底の温度と水雲の割合(赤線)。参照値として、衛星観測(青線、茶線、黒点線)、気候モデル等(緑線、水色線、橙線)の出力結果も表示。データ数に対応したヒストグラムは棒グラフで示している。
図4:(a)ライダーシーロメーターで捉えられた2022年12月25日の対流圏中層の雲に関する偏光解消度(陰影)の時間高度断面と、23:30UTC(▼印)に昭和基地のラジオゾンデで取得された(b)気温・風向・風速と(c)相対湿度の鉛直分布。陰影が青系であれば粒子が球形であることを示す(雲内であれば雲粒が液相であることを意味する)。逆に陰影が茶系であれば粒子が非球形であり、氷晶や雪の存在を示唆する。
図5:観測期間中に雲カメラで捉えられた波状雲(高積雲)の様子。下部白字の情報は撮影日時、雲底高度(m)、下向き長波放射フラックス(W/m2)を示す。
図6:「しらせ」航路上の雲底高度の頻度分布(赤:ライダーシーロメーターによる観測値、灰色:大気再解析データERA5)。再解析データが1km以下の雲を過大評価、上空3〜4kmの中層雲を過小評価しているのがわかる。
図7:「しらせ」航海中の放射観測データの頻度分布(赤:観測、黒:ERA5大気再解析データ)。(a)下向き長波放射フラックス、(b)下向き短波放射フラックス。再解析データでは、長波放射はダブルピークの構造は観測を再現しているが、最大値の値が全体に過小評価している。短波放射は300W/m2以上の状況で1%程度過大評価している。
研究内容について
国立極地研究所 北極観測センター長 教授 猪上 淳(いのうえ じゅん)
Tel:042-512-0681 E-mail:inoue.jun@nipr.ac.jp
報道について
国立極地研究所 広報室
Tel:042-512-0655 Fax:042-528-3105 E-mail:koho@nipr.ac.jp
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